プロフィールタイトル
佐野の肖像写真
佐野 元 (サノハジメ)

イラストレーター
ビジュアルデザイナー
絵の制作
(フリーランス)

1961年、神戸市生まれ。
芦屋市の浜手下町育ち。現・神戸市在住。

<仕事・活動 >
●雑誌などの商業イラストレーション、挿絵制作。
●システム及びウェプデザインの支援の仕事。
●1990年代はアニメーション制作も含むマルチメディア作品の制作。
●1994年みんなのうた「チュンチュンワールド」。
●商業的なものではない個人の絵の制作。
(2015年1月現在)
イラスト
▲マガジン・マガジン社
掲載のパズル誌

▲「なごむ亭元楽」名義の
イラストパズル

●Works (仕事●作品●活動)
<商業イラスト 挿絵 / 現在>
●「スーパークロスワード」誌 (2002年〜)
●「ナンクロメイトDX」誌 (2004年〜)
●「コンビニ限定クロスワード」誌 (2006年〜)
●「ラッキー!クロスワード」誌 (2006年〜/誌名が変更)
●「まちがいさがしメイト」誌 (2008年〜)
●「クロスワードon!」誌 (2009年〜)
●「クロスワードmini」誌 (2012年〜)
●「クロスワードエンタメ」誌 (2012年〜2013年)
●「はっぴい! アロー&スケルトン」誌 (2013年〜)
●「おもしろ! アロー&スケルトン」誌 (2014年〜)
 (すべて潟}ガジン・マガジン社のパズル雑誌)
<"なごむ亭元楽"名義でイラストパズル制作 / 現在>
※上記の雑誌の内、以下のものには、
「なごむ亭元楽」というペンネームでイラストによるパズル問題を制作して掲載。
●「スーパークロスワード」誌
●「まちがいさがしメイト」誌
●「ラッキー!クロスワード」誌
●「おもしろ! アロー&スケルトン」誌
<商業イラスト 挿絵 / 過去>
●「週刊 サンデー毎日」(毎日新聞社)  蓬莱竜太コラム「グドンの穴」(2005年)
●「Mac Fan ビギナーズ」(マイナビ)  コラム「青林檎の育て方」(2002〜2004年)
●「おもしろ競馬塾」(サン出版)西田哲志コラム「世紀末馬券術」(1993年〜1999年)
<アニメーション>
●「CHUN-CHUN WORLD」(1993年) -'93第5回DoGA CGAコンテスト入選
●「Funky Brothers」(1993年) -NEC第6回パソコンアート大賞優秀賞
●「CHUN-CHUN WORLD 2」(1994年) -'94第6回CGAコンテスト入選
● NHKみんなのうた「チュンチュンワールド〜お元気体操〜」(1994年)
  ----原案とCGアニメーション制作。一部上記の「CHUN-CHUN WORLD」より使用。
    ※「みんなのうた」に至る経緯は下の経歴の1994年を参考のこと。
● NHKみんなのうた「チュンチュンワールド〜マジックカーニバル〜」(1995年)
  ----原案としてクレジットのみ
<マルチメディア作品 / スタジオハルツ名義>
●「折り紙」(1993年) --マルチメディアチャレンジ'93 グランプリ受賞
● CD-ROMパソコン作品「いろんなひとがいる」(1995年)
● CD-ROMパソコン作品「CHUN-CHUN WORLD」(1995年)
● CD-ROMパソコン作品「ハルツスクリーンセーバー1」(1996年)
● CD-ROMパソコン作品「ハルツスクリーンセーバー2」(1997年)
● CD-ROMパソコン作品「ハルツ未発表1993」(1998年)
● ホームページ「ハルツガーデン」(1996年)
※スタジオハルツ(STUDIO HARZ)とは、1991年に佐野と春名務氏がマルチメディア作品制作のために作ったユニット。CD-ROM作品はパソコン用パッケージとしてパソコンショップなどで販売していた。発売元はコロムビアクリエイティブ。ホームページ閉鎖の2000年で活動終了。

▲スタジオハルツ作品
1995〜99年

 
●Personal history (経歴)
1984年
神戸学院大学経済学部卒業
在学中は「漫画研究会」に所属。卒業後、金物やDIY商品の卸しの会社に就職するも1年半で退職。東急ハンズ江坂店に出入りし、様々な商品に接する業務は楽しかったが、一般のサラリーマンには全く向いていないと決断して。昔から好きだった絵やもの作りの仕事に就きたいと、1986年に大阪デザイナー専門学校に入学。
1988年
大阪デザイナー専門学校卒業
在学中に先生の紹介で、当時、大阪市北区堂島の小学館ビル7階にあった「(株)ワールドクリエイティブセンター(WCC)」にアルバイトとして出入りし始める。シャープや東映エージェンシーなどがクライアントの、グラフィックデザイン・映像・イベントなどの企画制作会社で、個性的な人材が揃った、後で思えばちょっと珍しい会社であった。
1989年
(株)ワールドクリエイティブセンターにて契約社員となる。1
そもそも印刷物のグラフィックデザインのアシスタントのアルバイトがきっかけの会社であったが、イベントの企画書用の挿絵、映像制作の絵コンテ、企画書の制作助手なども頼まれる様になり、契約社員にならないかと声がかかる。時はバブル景気。他にも、イベント展示用のパソコンによるCG制作、映像の小道具製作など、社内のあらゆる業務にかかわり、皆から「ゲンちゃん」「ゲンちゃん」と呼ばれて社内を走り回る。今だに「ゲンちゃん」と呼ばれるのが好きなのはそのあたりによる。以来数年、ノリの軽い部分は出来るだけ敬遠しつつも業界を楽しみつつ、本当によく働く。また、正社員では無かったので他の会社の仕事を行っても問題が無く、その会社の社員の紹介による他の映像制作会社で、地方局CMの「絵コンテ」を描く仕事も行っていた。


ワールドクリエイティブセンターの名刺1
JASTのCGの仕事
2
STUDIO HARZのマーク
3
CHUN-CHUN WORLD
4
1991年
パソコン(Mac)による作品作りとスタジオハルツ結成。
社内の仕事の内の1つであるイベントや展示会場用システムのCG制作は2、東京と大阪に本部のあるコンピューターのシステム制作会社「日本システム技術株式会社/JAST」の発注だった。で、その会社の社員として知り合い、友人関係にもなった東京在住の春名務の影響で、アップルのパソコン「Mac」を触りはじめ、これで色々と作品作りができると感じはじめる。そして、1991年に春名と、マルチメディア作品を作る為のチーム「スタジオハルツ」3をプライベートとして組む。
1992年
フリーランスとなる。
バブルがはじけて会社の状態が悪くなり、どんどん人が入れ替わり、「時給の契約社員から固定給の正社員になってほしい」と言われた時点で(つまりはそれはさらに拘束されるが収入は減ることを意味する)、契約社員の解除を決意。マルチメディアの可能性と春名との「スタジオハルツ」に賭ける気持ちを持ちつつ、正真正銘のフリーランスになる。
1993年
パソコンで作ったアニメーションをコンテストへ。
「CHUN-CHUN WORLD」「Fankybrothers」コンテスト入選。
フリーランスになり、元の会社や春名の会社やその他の会社などから仕事を受けながら、Macをアレコレと触り始める。Macのソフトを使って10日ほどで作ったアニメーション「CHUN-CHUN WORLD」4をDoGA CGAコンテストに応募、入選する。続いて、アニメーション「Fankybrothers」5を作りNECパソコンアート大賞に応募、優秀賞。この頃はもう作るのが楽しくて楽しくて仕方がなかった。
1993年
スタジオハルツ名義の「折り紙」がコンテストグランプリ。
続けてコンテストに入選した勢いで、「スタジオハルツ」として春名と2人で制作した作品を、雑誌「Mac Life」誌で募集していたコンテスト「マルチメディアチャレンジ'93」に応募。グランプリを受賞6。「折り紙」の作り方や伝承を題材にしたマルチメディア作品だった。これを機に春名は(株)コロムビアクリエイティブに移り、この会社を発売元としてスタジオハルツのCD-ROM作品作りをすることとなる。
Funcky Brothers
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折り紙
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7
競馬塾イラスト
8
みんなのうた「チュンチュンワールド」
1993年
雑誌「おもしろ競馬塾」にイラストを掲載。
(株)ワールドクリエイティブセンターで働いていた頃に知り合ったライターの友人・西田哲志が、趣味が高じて競馬雑誌「おもしろ競馬塾」(サン出版)にコラム「世紀末馬券術」の連載を始める。西田氏に「オレのコラムに絵を描いてくれへんか?」と誘われて、そのコラムの挿絵と4コマを担当する7。そのイラストの仕事は数年後に終わり、雑誌自体も無くなったが、その雑誌の当時の編集者・吉岡氏から数年後に、パズル誌「スーパークロスワード」誌のイラストの依頼があるのである。
1994年
「CHUN-CHUN WORLD」が、
みんなのうた「チュンチュンワールド 〜お元気体操〜」に。
スタジオハルツの春名が入社した(株)コロムビアクリエイティブにて、教育者で作詞家の鈴木みゆきさんがアニメーション「CHUN-CHUN WORLD」を観て気に入り、モチーフとして自ら詞を書き自身が関わりのある「みんなのうた」に使いたいという話になる。すでにある「CHUN-CHUN WORLD」中の数シーンがそのまま使われ、新たに追加する「行進する少年とチュンチュン」のCGも制作。鈴木さん作の振り付けと、タレントと着ぐるみの登場など、「チュンチュンワールド 〜お元気体操〜」8は楽しい作品に仕上がる。翌95年には「チュンチュンワールド 〜マジックカーニバル〜」が制作される。その頃はすでに本来の目的のCD-ROM作品の制作に入っていたので、「原案」というクレジットのみで。さらに96年には「チュンチュンが盆踊りをする」という企画があるという話を聞いて、きちんとした話の無いままに次第にひとり歩きしていくコトを不服として、企画にストップをかけてもらう。
1995年
スタジオハルツCD-ROM第一弾「いろんなひとがいる」発売。
春名と制作していた作品「いろんなひとがいる」9が1994年暮れに完成、CD-ROM発売日が1995年の1月24日に決まる。その発売日の一週間前の1月17日に、神戸に地震(阪神淡路大震災)がおこる。以後数ヶ月に渡って実家の家族の復興に明け暮れる日々の中で、発売元へと届いた購入者からの好意的なアンケートハガキに励まされる。
作品「いろんなひとがいる」は、佐野が描いた画面上の人たち(全部で20人)に対して、「好き」か「嫌い」のボタンを押すと、それぞれに違ったいろんな反応が起こり、それを観て楽しむ、というもの。
スタジオハルツのCD-ROM作品はその後、1999年までに、
・「CHUN-CHUN WORLD」
    (それまで作ったものと新作を含めたアニメーション)
・「ハルツスクリーンセーバー1」
・「ハルツスクリーンセーバー2」
・「未発表1993」(1993年ごろに作った未発表作品3本収録)
と、合計5本を発表する。
CD-ROMいろんなひとがいる
9
10
なごむアトリエ
1998年
個人のサイト「なごむアトリエ」をオープン。
スタジオハルツの発売元において、マルチメディア事業からの撤退の兆しが見え始めた頃に、個人のホームページを立ち上げることを決め、「なごむアトリエ」10をオープンする。スタジオハルツで培ったスタイルをそのまま延長した形で、単に「自分の活動を紹介するホームページ」ではなく、「全体が作品」みたいなものを目指す。パソコンが一般に普及し初めて個人のホームページが盛り上がった2000年代前半に、「なごむアトリエ」の佐野さんとして、個人サイトを通じて何人かの人と知り合いになる。また、「なごむアトリエ」内で「ショップ」をオープンし、ポストカードや自作の絵の注文販売などを行う。当時はそこそこ売れたと思う。とにかくその頃は「自前のメディア」であるホームページが面白く、「カッパ沼」などのオリジナルコンテンツや、「季節もの」のアニメーション、「身近な写真や思ったこと」などのつれづれも頻繁に更新をしていた。
1999年
NECシステムテクノロジーさんの仕事のお手伝いを始める。
そもそも、スタジオハルツのCD-ROMの作品を出すたびに、必ず好意的なアンケートハガキを出してくれる神戸在住の「梯(かけはし)さん」という男性がいた。その彼から、丁度スタジオハルツの活動が縮小してゆく時期に、たまたま「ウチの会社の手伝いをしてもらえませんかね?」と打診をしていただく。それは、スタジオハルツにて作品作りを一生懸命にしていた結果でもあったのだろうけれど、非常にいいタイミングで、しかも好条件で話をいただく。公共関係向けのウェブや、この会社の構築したシステムの見た目のデザイン的な部分でのお手伝いをすることになる。
2002年
「スーパークロスワード」誌のイラスト仕事の開始。
以降、マガジンマガジン社のパズル誌のイラストを。
ここまでくると、もうこれは実は佐野の経歴の紹介というより、「ご縁」の不思議さと大切さを語る読み物である事が良く解ってもらえると思います。仕事は特にそうなのでしょう。友人の西田氏の縁で1993年から数年イラストを描いた「おもしろ競馬塾」の当時編集者の吉岡さんから、ある日連絡をいただき、「今、パズル誌の編集長をしています。今度新しいクロスワードパズルの雑誌が出るのですが、ふと、競馬塾のことを思いだして、絵の感じがちょどいいんじゃないかと思って、お願いをしたいんですが」と。久しぶりの「イラストを描く仕事」にヨロコビながら「スーパークロスワード」誌の仕事を始める11。それ以来、「ナンクロメイトDX」誌、「コンビニ限定クロスワード」誌、「ラッキー!クロスワード」誌、「まちがいさがしメイト」誌などなど他にも数誌、数を増やしながら依頼をいただく。

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2002年
2005年
「MacFanビギナーズ」誌のイラスト。
「サンデー毎日」誌のイラスト。
「なごむアトリエ」を初めてから、「サイトを観て、雑誌のイラストをお願いしたく」とメールをいただいたのは2誌。1つは「MacFanビギナーズ」。もともとMacの雑誌は良く読んでいたし、アニメーション作品を作っていたころには「Mac User」誌に作品を掲載して頂いていたので、「MacFanビギナーズ」からの依頼はもちろん有り難くはあったけれど、違和感のない依頼だった。小学生やお年寄りなどの初心者にどうMacを教えたら良いかを綴ったコラム「青林檎の育て方」の挿絵12。2年ほど仕事をさせて頂いた。
が、「サンデー毎日」の依頼が来た時は、正直ビックリした。「本当はよく見たらサンデー毎田とかサンデー苺日とかとちゃうか?と疑ってしまったよ」というのを当時よく笑い話にしていた。その頃「なごむアトリエ」でに載せていた「右手は動く絵をのこす」のコーナーの絵を、当時サンデー毎日の記者だった柳悠美さんが探しあててくれて、「こんな感じのイラストが欲しいのです」と依頼をいただいた。劇団の主宰者で劇作家の蓬莱竜太氏のコラム「グドンの穴」の13挿絵。結局、編集部の都合で3ヶ月の短期で終わったが、思い切り本人楽しんだ。
2012年
絵を描こう。
ヨノナカでは、2007年くらいまで数年続いた「プチバブル」の時代が終わって、2008年からガクンとまた不景気になっても、システムテクノロジーさんの仕事はそのまま続き、パズル誌の仕事は少しずつ増えてゆき、よく言うと安定の時期に。2007年に、それまでかたくなに拒否し続けていたブログも始める。その分、本家のサイト「なごむアトリエ」はほぼ手つかずとなる。2010年代に突入して、ふと気付けば、その間、安定はしていたが、代わり映えしないキャリア。そんな中で、ちょっとした苦労のきっかけもあり、2011〜12年にかけて色々と考えた。今まで色んなご縁が繋がっていったのは、単に「運がいい」ではなく、いつも一方で自分が何かを懸命にやっていたことを思いだす。やっぱり、ちょっと、どうにかなるかならないかは別として、次に向かう気持ちを、姿勢を、形として出していかないと。
2011年秋、「B5 size Free Pad」14と題して鉛筆でシリーズ絵を描き始める。2012年初夏、今度は絵の具を使ってカラーで絵を描き始める15。それから、ずっとそのままだった「なごむアトリエ」もリニューアルを始めて、外からは見えないアタマの中では、アレコレとやるコトを考え始め、そして、
つづく
 
 
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モドルボタン

(C)Nagomu-Atelier / Hajime Sano