No.1〜No.16



ふしぎNo.1  気持ちのネットワーク。 (By 佐野元)

こういうことってありませんか?「あの人どうしてんのかなぁ」とふと思い出すと、久しぶりにその人から電話がかかってくる。あるいは、ふと前のお菓子が気になって、食べようと手を伸ばすとほんとに同時に前の人が手を伸ばす。これってなんだろう。「ああ、俺もちょうど思っててーん」そんな事ありませんか。
こういう話を聞いたことがあります。ある地域のサルが水辺でイモを洗うということをある日突然憶えた。
同じ頃、まったく遠く離れた地域のサルも水辺でイモを洗いだしたそうです。
もしかしたら、僕たちの気持というのは目に見えないなにかで、インターネットより複雑につながっているのかも知れません。うーん不思議だ。






ふしぎNo.2  真夜中のミシッ。 (By 佐野元)

夜、電気をけして、布団の中に入って目をつむる。シーンとした部屋の中。
突然、家具や本棚が「ミシッ」。
そんな事よくありませんか。あれはいったい何故なんだろう。クールな人はきっとこう言います。「それは、家具や本棚にかかっている重みなんかが、その日の湿度や温度によって、ひずんだりずれたりする音だよきっと」。うーん解るけどね。じゃなんで夜な訳?昼間は聞いた事ないで。するとクールな人はまた言います。「昼は雑音など多いから聞こえない。夜は静かだから聞こえる」。うん、きっとそうなんだろう。そのなんだろうけどさ。僕にはどうもこう思える。人間が活動をやめると木やその他の材料で出来たモノにも何等かの影響があるんじゃないかと。「おー。人間寝たでー。わしらも休もかー。あー肩こったー、うーーん」ミシッ。
うーん不思議だ。






ふしぎNo.3  止まっているエスカレーター (By 佐野元)

僕は「おもしろ競馬塾」という雑誌にイラストを描いている関係上、JRA場外馬券売り場(WINS)に時々足を運ぶ。で、大阪のWINSで以前エスカレーター将棋倒しの事件があって以来、僕の行く神戸WINSでも日曜日は1Fから2Fへのエスカレーターは停止しており、来場者はそれを階段のように足で昇っていかなければならない。
さて、みなさん。そんな風に止まっているエスカレーターを昇るのって、足が重くてめちゃくちゃダルくない?
それに、昇りきってエスカレーターから上のフロアに足をおくときに、なんだか変な感じがしない?
これはおそらく条件反射というヤツで、「エスカレーターは勝手に昇るもの」、「降りるときは気を付けて体の速度調整をする事」という思考が頭と体にしみついているからなんだろう。逆に言えば、昔昔、初めてエスカレーターに乗った大人は、さぞかし気持が悪かっただろうなぁ。
ともかく、またしても、人間の頭と体は、うーん不思議だ。






ふしぎNo.4  なぜか知らねどくりかえし (By 佐野元)

同じ失敗を繰り返してしまう事ほど自分がイヤになる事はない。同じ失敗をしなくなれば、人間が成長したという事なのだろうけれど、なかなかそういう訳にもいかず、またまた同じ失敗をしてしまうものである。
さて、そんなに大げさな事ではなくても、ほんのささいな失敗をくりかえす事もある。
みなさん、こんな事はありませんか?
たとえば、「埼玉」を「崎玉」と書いてしまって、「あ、いけないいけない」と思って消しゴムで消して、で、書き直すとまた何故かまた「崎玉」と書いてしまう。
もしくは、銀行で振り込み用紙に「8520」と書かなくてはいけないところを「8250」と書いてしまって、「あちゃ」と思ってクシャクシャと用紙を捨てて、新しい用紙に向かって最初から書いていると、何故かまた「8250」と書いてしまう。
「いやいや、そうじゃなくて」と、また書き直す事になるのだが、あれが不思議でしょうがない。






ふしぎNo.5  ハイルトコロガチガウ  (By mika)

食事をしてどんなにお腹がいっぱいでも
最後に甘い物が欲しくなるのはなぜだろう?
たぶんこれは女性だけだと思う。
甘い物を食べないと満足しないのである。
食べてようやく「美味しかった、ごちそうさま!」という気分になる。
うちの母も、近所のおばちゃんも、
友達のユミも、同僚のユキコさんもみんなそう。
「入るところが違うんだよね、うふふ」なんていいながらぺろりと平らげてしまう。
「ハイルトコロガチガウ…」
この呪文を唱えるときっと、胃壁から強力な胃液が出てきて瞬時に食べ物を消化してしまうのか、
それとも体内に突然第二の胃が現れて吸収してしまうのか…
うーん不思議。
そんなことをあれこれ考えながら今日もまた呪文を唱えてスイートポテトを2つも平らげてしまうのだった。(オワリ)






ふしぎNo.6  大きさの不思議 (By 佐野元)

大きさというものはホントに不思議だ。慣れや周囲との関係で全く違ってくる。
大きな部屋だと思っていても、慣れてしまえばそんなに大きく感じなかったりする。
デザインを勉強していた頃に、この不思議さを感じたことがある。授業でB3サイズの大きさに作品を作る課題が出る。しかし、初めてこのサイズを扱う時は何だか凄く大きく感じて、「うわー大変やなぁ」と思ってしまう。次にB2サイズで課題が出る。これまた「うぉー、おおきなってしもた」と思う。ランクアップして今度はB1サイズで作品を作る。でもってその後に残っているのはB0サイズだ。103cmx145.6cmである。ここまでくると「俺もくるところまで来たなぁ」と思う。
さて、この時ふとB3サイズを見たりする。すると、めちゃくちゃ小さく可愛く見えたりするのだ。あんなに「うわー」と思ったあのサイズがである。
ほんとに不思議に思ったものだ。
それから、こんなことありませんか?
電化製品や家具などを大きなお店に買いに行く。広いフロアで「あっ、たいして大きくないや」と思って部屋に持って帰ると、やけに大きかったりする。
「店で見たらあんなに可愛く見えたのにー」と後悔しても、買ってきた収納ケースは、見事に壁と冷蔵庫の間に入らなかったりする。困ってしまったりする。
くれぐれも、家具や電化製品などを買うときは、置きたい場所の寸法をきっちり計ってからお店に行きましょう。






ふしぎNo.7  今度、今度、また今度 (By Halpon)

育ってきた地方や環境によって、いろいろ表現や言葉がちがう。生まれ育った地方と違う所に住んでいる方はそんな事を実感することがよくあるのではないだろうか。
そういう僕も神戸の出身なので、はじめて東京に来たときにはいろいろととまどいがあった。中でも、発着列車の表示の「今度」「つぎ」、は今でもよく分からなくなる。関西では、「先発」「次発」「次々発」という表示になっており、もちろん慣れもあるだろうが「さきに発車する」「次に発車する」「次の次に発車する」という意味合いが、非常に分かりやすい。
関東の人に聞くと「先発」にあたるのが「今度」で「次発」にあたるのが「つぎ」だそうだ。これについては一度覚えてしまえばすむことなのだが、問題は列車に乗ってからである。
「つぎはーギンザー。ギンザー。」というアナウンス。
「ということは、2駅先が銀座やねんな。」と意地悪くも思ってしまう。うーん都会は難しい。
東京でひとり暮らしをしていたとき、家にきた、訪問販売の人に「すみません、また今度。」とお断りしたら、次の日に「こんにちわー。」とやって来たことも今では「なーるほど」と納得できてしまう。
関東にやってきてとまどった話は他にもいろいろあるのだが、それはまた今度、いや別の機会に..






ふしぎNo.8  背中がゾクゾク。  (By yamo)

音楽を聴いていて、自分の好きなフレーズや和音になると背中が「ぞくぞく」しませんか?いきなり熱いお風呂に浸かって思わずしてしまう「ぞくぞく」に似て、いい感じです。
 小さい頃はひょっとして自分にだけ備わった能力かな、なんて思っていたのですが、そんなことはないみたいですね。
合唱の練習のとき、うちのクラスの怖いスケ番さんが「今のいいねえ、背中にぞぞぞってきたよ」と言うのを聞いて自分だけじゃないんだと分かりました。万人に共通の良い感じ。
でも何で背中にくるんでしょうか。
頭にぴぴっとくるとか、お腹に響くとか、体での感動の仕方はいろいろありますが何故に背中にぞくぞくなんでしょう。
私の中にかなり有力な説が一つあります。「人の体が音に共鳴している」説です。
ピアノの1つの音が共鳴して部屋の中のトースターが「ぶーん」といったり、スピーカーの大音量に共鳴してガラス窓が「びりびり」といったりするのと一緒です。ある音が鳴ると体が勝手に共鳴して背中に「ぞくぞく」が走るのです。音と一体になるから何となく気持ちよかったりするのではないでしょうか。






ふしぎNo.9  思わず**してしまう  (By yamo)

身近に「思わず**してしまう人」はいませんか。友人のYちゃんは、差し出せば何でも受け取ってしまう人です。普段も、どうでもいいものをひょいと差し出すとひょいと受け取ってくれます。
飲み会などで話が弾んであまり身の回りのことが気にならなくなったとき、特にYちゃん自身が盛り上がっていて他のことに気が回らないとき、何を差し出しても全部引き受けてくれます。人のお手ふきやお箸はもちろん、空いたお皿、メニュー、カラオケのリモコン、人の荷物、焼き鳥の櫛を入れるつぼ、どうでもいい紙、ごみ、などなど。自分に全然関係ないものでも無意識のうちに受け取っちゃうみたいです。みんなは途中から面白がってなるべく変なものを話しがてら渡します。Yちゃんは自分の後ろに全部置くので、本人が気がつかないうちにえらいことになっていたりします。
中学の時クラスメートだったHちゃんは、知らない間に水たまりにはまる人でした。二人で話しながら歩いていると「ぱしゃっ」「あっ」。真っ直ぐ歩いていれば通るはずのないルートなのに、吸い込まれるように水たまりに足を入れてしまう人でした。話に夢中になると周りが見えない歳でもあったかもしれません。今は治っているのかな。






ふしぎNo.10  日本一の遮断され男 (By Halpon)

昔から気付いていたのだが、なぜが僕は車を運転していると遮断機につかまってしまう。家に帰る途中にも必ず通る遮断機があるのだが、十中八九つかまってしまう。 先日も「夜中だから」と思って走っているとやっぱりつかまって、点検用の列車なのか、一台きりの車両がコトコトと過ぎていった。 ずっと「それは被害妄想や」といっていた人も、一緒に乗っていた車が1時間に一本しか通らない単線のローカル線の遮断機につかまってしまったときはさすがに「日本一の遮断され男」と認めてくれた。
中にはそんな僕のことを「なかなか出会えないものに出会えるのだから反対にタイミングがいいんだよ。」といってくれるひともいるのだが、そうでもないのである。なぜなら電車に乗ろうと駅にいったときはいつも「一時間に一本の電車がいったところ」ばかりだからである。







ふしぎNo.11  謎の「底抜け二丁拳銃」公衆電話 (By 佐野 元)

みなさん、まず写真をみてください。左の公衆電話の写真。なんの変哲もない電話ですが、よく見るとなんだかちょっとヘンだと思いませんか?そう、受話器が二つあります。これって良くあるタイプの公衆電話なのでしょうか?私は初めてみました。場所は岡山県の倉敷市郷内のとある酒屋の前。
先日ベニゴンベを見る為に岡山へ行ったのですが、その次の日僕は友人のナカトーとキイチの3人でドライブをしていたのです。すると、突然ナカトーが「あ、そうじゃ。ちょっとあの店の前で車止めてくれん?」と運転していたキイチに言ったのです。「どうしたん?」と聞くと、「いや、ちょっと確認したい事があるんじゃぁ」というのです。言う通りに車を止めると、ナカトーは店の前にある電話BOXをじっと見て言いました。「やっぱり、そうじゃ。前にここから電話して見つけたんじゃけど、ちゃんと確認せずに行ってしまったから気になってたんじゃ。ほら、見てみ。受話器が2つあるが」ええっ?
私はすぐさま車を降りて現物を見る為に電話BOXに入ってみました。確かに普通は何もない右っかわの側面にも受話器がついているんです。試しに左の通常の受話器をまず取り上げ、テレホンカードを入れて、それから右の受話器を耳にあててみました。「ツーーー」おおっ。通じている。通じているぞ。じゃ、左の受話器を置いてみるとどうなるの?という疑問がわいたのでやってみると、これは繋がらない。どうやら、単独では使えないが、通話の状態になって初めて使える補助の受話器のようでした。
という事はこれは2人で同時に話が出来る公衆電話ではないですか。これは女子高生は嬉しいですよ。エッちゃんとカナちゃんがふたりでアキちゃんに電話する、なんて時は非常に盛り上がる電話ということではないですか。また、この電話の事を知っている人に電話をして「今日はどっちの受話器でかけていると思うー?右?ブー。残念でした。左でしたー。」なんて遊びも出来る訳です。そうそう、左ききの人が電話しながらメモをとるのにもちょうどいいではありませんか。「おお、すごいすごい。面白い電話があるなぁ」とひとしきり驚いて笑っていたのですが、よく考えると大きな謎が残ります。
「これを設置したNTTさんはいったい何を考えて設置したのだろうか?」と云うことです。
集団でおしゃべりするのが好きな女子高生をターゲットにした新しい公衆電話戦略のモデルタイプとして設置したのでしょうか?それとも設置の工事に来た人がボーッとしていて、間違えて右側に受話器をつけてしまって、「しまったー」と思ったけど、もう外すのも面倒だからそのままにしてさらに通常どうり左にも付けて知らんぷり帰ったのでしょうか。いやいや、それとも私が知らないだけで、このタイプの公衆電話は全国津々浦々にあるものなのでしょうか?考えれば考えるほど、謎が残ります。誰か、知っていたら教えてください。
それにしても見ればみるほどなんだかカッコいいような、間抜けなような。後日、私と友人ナカトーは二人で「底抜け二丁拳銃公衆電話」と命名したのでありました。







ふしぎNo.12  ネコの挑戦 (By 佐野 元)

ネコっちゅう奴は、ほんとに憎らしいというか、賢いというか、計算高いというか。まあ、そういったところがまたネコ独特の魅力にもつながっているのだけれど。
歩いているとよくノラネコにでくわす。この日本は本当にネコの多い国だ、と思うのは僕だけだろうか?
さてさて、そんな時こちらに気がついたネコはタッと逃げるのだけれど、必ずと言っていい程そこそこの所で立ち止まり、クルッと振り向いてこちらの様子を見る。それがいかにも「へへん。このくらい離れてたら大丈夫やろ」ってな感じで憎たらしい。で、さらに追いかけるとまたダーッと逃げるけれど、こちらが何もしないと解ると「フン。相手になんないね」ってな感じでまた鼻をツンと上にあげて悠々と向こうに歩いていく。全く憎たらしいったらありゃしない。まぁ、エネルギーの温存という意味では、非常に効率的ではある。その点イヌは、非効率的だ。気の弱いイヌはそれこそ振り向きもせず「ひゃーっ」てな感じでダーと逃げていく。振り返りながら逃げていくなんて高等技もする。ちっちゃいイヌなんかはもう頭パニックになって跳ねているのか回っているのか転がっているのかワカンナイほど動き回って「きゃきゃきゃんきんきゃきやきやきやきやきやきやややや」なんて吠える。攻撃的な犬になると「なんや文句あるんかいーおーうーわんわんわん」と何もしていない善良な我々にかかってくるくらいだ。まったくエネルギーの無駄遣いである。それがイヌの可愛いさでもある。しかしクールさはネコの勝ち。

 さて、そんなネコの不思議。車に乗る人なら必ず一度は経験があると思うけれど、ネコは時たま道路の横断を決行する。走っている車のまん前をターッと横切るのである。あれはこわい。僕も以前車を持っていたころ何度も前を横切られてヒヤヒヤしたものだ。一度などは、夜走っていると左の道路脇にキラッと光るネコの目が見えた。「あっ来るかな」と瞬間心配したが、そこにじっとしている。「よーしそのままそのまま」と思いながら通り過ぎようとする手前でササーッっと横切った。ヒヤリとした。
いったい何を考えているのだ。危ないじゃないか。「何も考えていないからこそういう事をするのです」とも言えるかもしれない。しかし、「万物の気持ち研究家」の私としてはやはりこう考えたい。
ネコの挑戦だ、と。
なんて言っても、「ネコが人類の文明社会に挑戦している」てな事ではなく、ネコ自身のチヤレンジ精神と言う意味。そいつはきっと「あのピカッとした二つ目のでかいの(車の事)が通りすぎるギリギリに、この道を横切ったるー」と考えているのではないか。人間でも死を覚悟の上で冒険にチャレンジしたり、もっと身近な事では、50メートルくらい手前の信号が黄色になったらなんとか通過してやるとアクセルをふかす人がいるではないですか。それと一緒(そういうイミではその人の頭はネコと同じ)。
或いは、ネコの仲間内で「おめー、わしらに認めてほしかったら、あのピカッとした二つ目のでかいの(車の事)が通りすぎるギリギリ横切りをやって貰おかー」なんて事があって、そいつは自分の誇りと地位の為に横切りを決行するのではないか。これまた人間界にもよくあることである。
いずれにしても、僕がそして皆さんがネコ語をはなせない以上、真相はわからないのであります。






ふしぎNo.13  その後の謎の底抜け二丁拳銃公衆電話 (By 佐野 元 & Yuuko)

先々月のふしぎNo.11で「謎の底抜け二丁拳銃公衆電話」について書きましたが、その後、僕と同じ7月6日七夕イブ生まれで、
ハルツスクリーンセーバーの制作のスタッフでもあるYuukoくんから以下の様なメールがとどきました。

「突然ですが、ホームページに書いてあった「受話器が二つある公衆電話」のことですが、私が高校生のときにもありました。
その電話から、当時友達の家に電話をして三人で話したりしてました。
その頃、女子高生が読むような週刊誌にも話題にされていて、
私たちも近所中を探し、「綾瀬」と言う千代田線沿いの駅にあったのを覚えています。
上野とか銀座とかにもあったと思ったけど・・・・。
今はなくなってしまいましたが、「どうしてなくなったか」とか「どうしてあったか」は不明です。
私はホームページを見て、「え、今でもあるの? 懐かしい・・・。」と思いました。
当時は話題になっていた「受話器が二つある公衆電話」も、今じゃ都内にはたぶんないと思います。なんでだろう・・・・。
たぶん一人分の電話代で二人分おいしいから、だめになったのかな。」

ああ、そうだったのか。
あれは「新タイプの公衆電話」ではなく「かつて流行った公衆電話のなごり」だったのか。
そういえば、ボンカレーとかオロナミンCのスチール看板とかも、地方にいけば残っているところがあるものなぁ。
わかったわかった。
わかったけれど、「なぜそういう電話を設置してみる気になったのか」と言うことと、
「序々にミドリからグレーの公衆電話に代っていきつつあるけれど、あのタイプのものはもう設置しないのか」
という事にかんしては謎のままです。
NTT関係の方でこのことに詳しい方がご覧になっておられたら、ぜひとも教えてください。






ふしぎNo.14  あくび  (By yamo)

あくびは人にうつるといいます。私もあくびを見ると鼻とのどの奥がむずむずして、あくびをしてしまいます。目の前で話をしている人がしてもうつるし、駅のようにいろんな人がいるところで、見知らぬ向こうの人があくびをしてもむずむず。テレビの中で誰かがあくびをしてもいけます。今これを書きながらあくびについて考えていても、むずむずしてしまいます。もう2回しました。
 レモンを見ると酸っぱい感覚を思い出すように、あくびをみると体のどこかが緩んでしまうのでしょうか??






ふしぎNo.15  真ん中ちっちゃくかたまり写真 (By 佐野 元 )

何人かでどこかに遊びいった写真をみているとよくあるのが、「真ん中ちっちゃくかたまり写真」。
左右にまだ充分に空間があるので、フツウに立っていても充分に写るのに、なぜか真ん中にかたまって写っている。左の人は右に体を傾け、右の人も左に体を寄せて写っている。ギュギュギューとかたまって風景の真ん中でポツンと写っている、というヒジョーにサミシイ写真になる。とくに使い捨てカメラの時に多く見られる。
アレはきっとアレだな。カメラやレンズがちっちゃいものだから、つい頭では「真ん中に寄らないと写らない」と思ってしまうんだろうな。でも実際は使い捨てカメラのレンズはかなりの広角なので4.5メートルも離れるとかなりの範囲がうつる。でも頭の中ではそこまで判断がつかないから、あのちっちゃなカメラを見ている内に「ちいさいちいさい、真ん中に寄らなきゃ寄らなきゃ」と思ってしまうんだろな。
頭はだまされやすい。本当に単純。
こういうのはどうだろう。使い捨てカメラはどんどん小さくなる傾向にあるけれど、これだとますます、「真ん中ちっちゃくかたまり写真」が増えるばかり。そこで、中身はそのままで、ケースを大きくするのはどうだろう。縦15センチ横20センチくらいにする。レンズも実際は今のサイズだけれど、周囲の丸いフレームを直径10センチくらいにする。これなら大丈夫だ。みんな安心してフツーに立っていられるぞ。
写すよー。よっこいしょ。ハイ、チーズ。ぱしゃ。
で、みんな安心しすぎて写っているのは真ん中の一人だけだったりするから、何度かそれをすると、またもやみんなは真ん中に寄ってくるのであった。はっはっはっー。






ふしぎNo.16  かなりマンション  (By 佐野 元 /報告と写真 マスダジュン)

左の写真を見ていただきたい。「かなりマンション」である。
という事は、全てがマンションではないという事である。
では、どっからどこまでがマンションで、どっからどこまでがマンションでないのかそして、マンションでない部分は何なのか、これはナゾがナゾ呼ぶマンションなのである。
実はこのマンションはハルツのCD-ROMの発売元であるコロムビアクリエイティヴの近くに実在するマンションで、スタッフのYuukoくんが発見して、同じくスタッフ、マスダくんが僕に報告をしてくれたのだ。
僕は気に入ったので、マスダくんにさらに追加調査をお願いした。
「何か前の文字がかけてしまってそう見えるだけではないのか」
すると2週間ほどしてまたもメールと写真がとどいた。
「やっぱり"かなりマンション"ですね。証拠の写真を同封しました」
その写真には入口ヨコの住所も書いたプレートが写っていて、はっきりと「かなりマンション」とかいてある。そうか、これはまちがいなく「かなりマンション」なんだ。
しかしまぁ、なんで「かなりマンション」にしたのだろうか?
オーナーの名字が「かなりさん」という可能性もあるけど、それにしたって字づらにしたら「オモシロイ」のは解るはずである。他に何かイミとかイワレとかあるのかなぁ。
いや、もういいのだ。もう、これは「かなり〜」のかなりと言うことでいいじゃないか。
「かなりマンション」。うーんたのしいたのしい。
この調子で「ちょっとマンション」とか、「半分くらいマンション」とか、「ほとんどマンション」とか、「もう少しでマンション」とか、「充分にマンション」とか、そういったものもぜひぜひ造ってもらいたいものでありまする。