No.17〜No.31



ふしぎNo.17  家のかほり   (By yamo)

よその家の匂いというのがあります。友達の家にお邪魔すると、ふわわんとお線香のようなブーケのようないい匂いがしました。うちに帰ってきてもそんな匂いは全然しなくて、どうやったらあの香りが出るのか長年不思議でした。
 一人暮らしを始めたとき、部屋の匂いにこだわろうと思っていろんなお香やルームスプレーや芳香剤を試したのですが、私が求めている「よその家の匂い」ができない。新しい香りを使い始めてしばらくは部屋に入った瞬間にいい匂いがして「おっ」と思ったのですが、それも保って3日くらい。鼻が慣れてしまうのか、いつまでたっても求める匂いが出てこない。
 でもそれから何カ月ぶりかで帰省したら、実家が「よその家の匂い」になっていました。あれは本当に「別の生活をしている人」の香りなんですね。






ふしぎNo.18  おしりが「キュッ」 (By 佐野 元)

さぁ、今、あなたは山に来ています。
緑の木々。爽やかな風。胸にしみ入るおいしい空気。暖かな日ざし。
おまけにもうすぐ頂上。さぁ、もうひと頑張り。坂を登って、よいしょ、よいしょ。よいしょ、よいしょ。
よしっ、やった。頂上に到着。
ああ、気持ちいいこの達成感。うーん。来たぞー。
「ふぅ」と人一息ついて、お茶でものんで、「あー、おいしい」
さて、落ち着いてきたら、回りをちょっと見回してみる。
うーん、ここもこうして見ると、けっこう高いなぁ。
よし、ちょっとあの岩から下をのぞいて見ようか。
スタスタスタ。岩の上に立ってそーっと頭を前に出して、岩の下をのぞいてみる。
ひゅぅぅぅぅぅぅぅ。
うぉお。
高いーっ。
地面があんなに下にあるぅ!!!
ひゃあぁぁぁ。
足がプルッときて、そしてそして、
おしりがキュッ!!

ああ、こうして書いているだけで、なぜかやっぱりおしりがキュッ。
キュキュキュのキュッ。






ふしぎNo.19  見逃してしまう (By yamo)

あまり真剣に天気予報って見ないですよねえ。何かやりながらとか一息つきながらというのが多いと思います。でも、どういうわけだか自分の住んでいる地域だけを見逃してしまう。
 全国の天気を南から順に解説しているときも、自分のいる県の2つ前くらいまでは記憶があるのに、ふとよそ見をしている間に隣の県になっていたりする。県内の天気予報でも自分の住んでいる地域は気が付くと終わっている。
 ほかにも朝や夕方にやっている占いとか、番組の終わりにある出演者のクレジットとか、音楽番組の自分の好きなアーティストの出番とか。
見たいものに限って見られないことが多いのはどうしてでしょうねえ。






ふしぎNo.20  字幕スーパー (By 佐野 元)

洋画を見に行くといつも思うのだけれど、あの、字幕スーパー。最初の20分くらいはなんだか映像に目が行ったり、字幕に目が行ったりしてなんとなく煩わしい。時々文字を見落としたりする。「うーん、英語がわかればなぁ」とこんな時はつくづくと思う。
しかし、不思議と30分もみていると字幕の事はなんとなく意識から遠ざかる。俳優が自然にセリフを言っているのを、自然に理解しているような感じになってくる。
うーん、人間の頭の中ってつくづくすごいんだ。
いや、ちがう。
こうだ。
「人間の頭の中って、なんてユーズーのきくいいかげんなものなんだぁ」







ふしぎNo.21  夜空ノムコウ (By mika)

たまたま見た雑誌に載っていたアンドロメダ大星雲の写真があまりにもきれいだったので天体望遠鏡を持ち出して夜空を見上げてみた。
地球から200万光年も離れた場所にあるアンドロメダ星雲。晴れた日には肉眼でもかすかに見えるこの光のかたまりは、私たちの住む銀河系宇宙と同じ1千億個もの星達の集団。

200万光年と聞いてもあまりピンとこなかったけれど、よくよく考えたら、1光年って光が1年間に走る距離でしょ。ということはアンドロメダ大星雲のあのあわい光は、200万前にアンドロメダを出て、宇宙空間を旅してやっと私たちのところに届いたということなんだ。200万年前というと石器時代?恐竜がのっしのっしと大地を歩き回っていた頃だろうか。その頃の光が今・・・。

う〜む。すごいことだ。果てしない宇宙の物語を思うと自分の一生がとてもあっけなく感じてしまった。仕事が忙しくて時間がないとか焦っている自分がすごくちっぽけに思えてきた。たまにはこんな風に夜空を見上げて哲学するのもいいかな。
夜空のむこうは、壮大な宇宙が広がっているのだ。







ふしぎNo.22  定番夢  (By 佐野元)

夢は不思議です。僕がことさらいわなくても不思議です。
さて、みなさんにも「時々みる定番パターンの夢」というのがあるのでは無いでしょうか?
忘れたころにフッと何度も見るお決まりのパターンの夢。
僕の場合もいくつかあります。まず、こういうの。
「集団の旅行へ行く。それは修学旅行だったり、合宿だったり、社員旅行だったりするのだけれど。で、到着してからカバンの中を見てみる。すると、着替えの下着が1着もない。ああああぁ、どうしよう。何日も同じ下着じゃないといけないのかぁ。風呂に入る時にみんなに変に思われないだろうか。あああ、どうしよう」
こういう夢である。ちなみに私は忘れものの常習犯です。よっぽど自分でもイケナイと思ってるのでしょうね。ま、旅行に下着を忘れた事はないですが。
それからこういうパターン。
「大学生の自分。もうすぐ進級試験(もしくは試験の直後)。単位表を広げている。あぁ、単位が足りるのだろうか?これとこれとこれとこれと、あぁぁ、どう数えても単位がたりない。あの授業さえちゃんと受けていたら受けていたら受けていたら。ああああああ」こういう夢。ちなみに実際はギリギリでストレートに進級できたのでした。
ホント夢は不思議です。







ふしぎNo.23  家族のリズム  (By yamo)

先日、友達の家にみんなでお邪魔して夕御飯をごちそうになりました。友達のお父さんやお母さんも顔を出して少し話をしたり、お酒を一緒に飲んだり。
 ふと話がとぎれて、気が付いたこと。友達とお父さんがうちわでそれぞれ自分を扇いでいるのですが、リズムがずっと一緒。試しに私もうちわでぱたぱたやってみましたが、私には私のリズムがあって、合わせようと思っても難しい。二人は隣り合わせで座って前の料理を見つめたまま、1分以上同じリズムで扇ぎ続けていました。さすが親子。







ふしぎNo.24  水の行きたいところ  (By yamo)

テーブルに滴が落ちているとき。地面に水が流れているとき。少し水から離れたところに指を置いたり足を置いたりすると、水がそこに向かって流れてくるのは気のせいでしょうか。テーブルならひょっとして力を入れるとそっち側に傾きが出来るのかもしれないけれど、地面は私の体重で傾くとは思えないので、きっと何か作用しているんだろうなあ。2本の細い水を3センチくらいの間をとって流して、間に指を入れると水は2本とも指にくっつくらしいです。それと同じ?







ふしぎNo.25  くっつき好きの女の子  (By yamo)

 街で女の子同士で腕を組んでいる中学生を見て、自分にもそんな時期があったなあと思い出しました。どういうわけだか小学校の高学年くらいから中学の一時期まで、女の子同士で近くにいたがるときがあります。その頃の女の子はクラスでも誰かと群をなしていて、トイレに行くにも移動教室に行くにも、ずっとずっと一緒。そこから外れたらもう居場所がないというか、他のグループも「あなたは他のグループでしょ」という不文律が出来ているので、他に混じりようがない。仲のいい人同士は何でだか腕を組んだりして歩くことが多かった。ある程度成長すれば自然と離れるんでしょうけど、この時期だけの独特のコミニュケーションだなと少し懐かしくなりました。







ふしぎNo.26  カレーラーメンのあるお店  (By ナカトー)

この間、「カレーうどん」があるのなら「カレーラーメン」というのがあってもいいのにとふと思った。
 ラーメン、カレーともに人気の高いメニューなのだから、これまで、どこかで耳にしてもよさそうなものである。しかし、私の身のまわりで「カレーラーメン」を売りにしている(又はメニューにある)ラーメン専門店や「ラーメンはカレー味じゃなくっちゃ!」という人に出会ったことがない。(テレビの番組でも観た記憶がない)
 でも、カップ麺には「カレー味」なるものがあるわけだから、あながちミスマッチというわけでもないのだろう。広い世の中のどこかには、きっと「カレーラーメン」なるものがメニューにのっているお店があるにちがいない。
 ご存じの方、是非教えてください。







ふしぎNo.27  ついついしたくなる心理  (By yamo)

 フードが付いた洋服を着ている人がいる。邪魔にならないようにネクタイを肩に引っかけて作業をしている人がいる。どうもこういう人を見ると「えーい」とフードを頭にかぶせたり、ネクタイをぐいっと引っ張ってみたくなる。一度くらいならお友達に試しても大丈夫だろうけれど、あんまりやると嫌われる。フードはともかく、ネクタイは本当に嫌な気持ちになるらしい。確かに自分がやられたら怒るんですが。でも近くにいるとついつい気になって見てしまう。







ふしぎNo.28  ふっと思い出すとき、ベスト3  (By yamo)

何かを思い出そうとするとき、「うーん」と唸りながら考えているときはなかなか浮かばないもので、結構どうでもいいときにふと思い出したりする。
思い出す状況ベスト3は、まず眠る前の布団の中。うつらうつらしているときに「あ」と思い出す。何かいいことを思いつくのもここ。ネックは、そのまま寝てしまい朝起きたとき「いいことを思いついた」ことしか覚えていないこと。
2番目はお風呂。やっぱり人間リラックスしているときがいろいろ思いつくのだな。
3番目は台所でお皿を洗っているとき。よく分からないけれどきっと脳味噌はリラックスしているんだな。あんまり深刻なことを考えながら皿洗いはしないからなあ。

(追記/by 佐野 元 : そう。気を抜いた時に思い出します。僕のコンピユーター作業の時によくある事。
マシンを終了する前に、「あれっ?なんかやらなければいけない事があったよなぁ」と思って、思い出そうとするのだけれど、全く思いうかばない。で「まぁ、いーや」とマシンの電源をプッとおとした瞬間に「あ」と思いだします。またまたすぐさまマシンをたちあげる時のカナシさといったらもう)







ふしぎNo.29  こどもブーム  (By ナカトー)

 「梅仁丹」というのが小学生の頃(約25年前?)、流行したという思い出話しがあった。あれって、いっぺんにたくさん食べると下が真っ赤になるんだよなぁー。
でも、あの流行って私の住んでいる岡山県の一部の地域だけのものだったのだろうか?
今から考えるとどうして「仁丹」なんかが小学生に流行したのかも、不思議と言えば不思議である。


(追記/by 佐野 元 : そうそう。梅仁丹は、私の住んでいた神戸近辺でも流行りました。それから中学に上がって「白金カイロ」という携帯カイロも流行りました。今のようなモミモミ使い捨てではなく、ベンジンのような燃料を入れて火をつけるものでした。どちらにしても、ジジくさい流行でした。それだけ、当時の方が大人と子供の領域がハッキリと分かれていたがゆえの、とっぴな背伸び半分の流行だったのかもしれないですね)






ふしぎNo.30  ポジション  (By 佐野 元)

 最近はだんだんとそういう機会がなくなってきたけれど、学生時代の友人に会うというのはとてもいいものだ。利害関係なんかなくて、ただなんとなく同じ時を過ごしてきたのだから、気楽につきあえるのがいい。まぁ、そのころはその頃でいろいろと不満もあったけど、今思えばなんでもなかった事だったりして。

今から5年ほど前、大学時代の友人たちと「一度みんなで集まろう」という事になった。そのメンバー全員でみっちりと会うのは久しぶりだった。
まるまる一日、クルマにのって大学時代によく行ったところに行って、夜は鍋を食べてカラオケをした。結果楽しかったわけだけれど、一日の終りごろに気がついた事がある。

前置きが長くなったけど、それが「ポジション」。

卒業してから10年ほどたっていたのだから、みんなそれぞれの場所でそれぞれの立場が出来ている。子供だって出来ているヤツもいて、やっぱり子供の前では「エライ」顔をしている筈である。身内の会社に入って「重役」になってるヤツもいる。
友達の寮のコタツの中で何もせずにボーっと集まっていたあのころとは違うはずである。酔っ払ってゲロ吐いて、病院の立て看板をひっくり返して喜んでいた頃とは違うはずだ。

そんなだから、最初はみんななんとなくギクシャクして、挨拶なんかしたりして、「こんな話をしてもわかんないかなぁ」なんて風に身の回りの事を話してたのだけど、一日一緒に過ごして夜になって、ふと気づくと、すっかりとみんなあの頃のポジションにいるのだ。

「O」はちょっと冷めた感じで「N」に「あほじゃ」なんていってるし、「S」はその後ろでクールに鋭い言葉をいってるし、「N」はバカな事をいってはよろこんでるし、「Hさん」はその後ろで「ふふふふん」なんて笑いながら時々すっとぼけた事をいってる。で、僕はぼーっとしたり「N」とバカな事を言い合って「O」に「やっぱり佐野じゃ」なんていわれて「へへへー」なんて笑ってる。
バシーッっとすっかり当時のポジションにいるのだ。そのまんま。
こう出ればああ、ああ出ればこう。勝手知ったる人の家。

で、みんなそれぞれの場所に戻ればまた今のポジションに帰っていくのだろうなぁ。

あれは不思議だぁ。
ほんと不思議だ。







ふしぎNo.31  きっとある、気持ちのネットワーク  (By 佐野 元)

たとえば、ハチやアリや魚など集団で行動する生き物は、全体として意思があるようにみえますよね。そのひとかたまりが生き物のようだというか。ウゴウゴウゴー、っという感じで。
でも、あれはもしかたらそう見えるだけではなくて、「意思」みたいなものがどっかでほんとにつながってるのではないかと思ったりします。
おんなじように、人間もそうなんじゃないかなぁ。

前に「ふと何かを思うと、同時期に他のだれかもおなじ様な事をかんがえてたるする事がある」というのを書いたけれども、全体としてもあるんじゃないかな。「雰囲気」というか。
今、「世紀末だから人間の気持ちが不安定」というような言い方がされているけれど、僕は逆のような気もします。「世紀末だから、世紀末だから」とあまりに言うから、その不安な気持ちがどんどんモヤモヤモヤっと見えないところでひろがって、結果的に心が不安定になるのじゃないかなぁ。もし年号が西暦じゃなかったら、なんてことはなかったかもしれないな、なんて思います。
とにかく、やっぱり僕らは目にみえないネットワークでつながっているんだなぁ、きっと。

今、「地球上にいるすべての人間の祖先をたどると、たった1人の母親にたどりつく」という説が有力だそうです。だから、やっぱりつながっているのじゃないかな。
うーん不思議だなぁ。