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いままでのひとこと
2001年〜2003年

 


01.1/18
車を所有するのではなく利用する、
「カーシェアリング」が、ぜったいイイ!

テレビで、ドイツで盛んになってきている「カーシェアリング」というサービスの話をしていた。
車を持たずに必要な時に使うもの。レンタカーとはちと違う。会員になって協同共有して、
必要な時に好きなタイプの車を1日5千円程で利用する。個々は、車の維持費や車庫代や税金なんていらない。
何より、「環境の為に一役かっている=これからの人間」という意識がもてる。
ドイツの利用者も「車をもつことはもはやステイタスではありません」とインタビューで応えたり。うーん。
僕が車をもたなくなって8年。街中だから電車でだいたい事足りる。近場なら歩くのが健康的。
別に不便は感じなくなった。渋滞や駐車待ちでイライラするのもううんざり、だし。
けど、時々重い荷物のものを運ぶとき、欲しい。たまにドライブだって、したい。そんなときこれがいいなぁ。
スポーツカーもワゴンも楽しめるし。年に10回利用しても5万円。一方、車を持ったら1年いくらだ?
日本でもやがて飛び火して街中では盛んになるかも。でも、なんでも遅いこの国だから4年後くらいからかな。





01.2/8
オランダでは、
「仕事」に「自由」があるらしい。

テレビで、オランダの経済の様子を伝えていた。今、かの国はとても好景気になっているらしい。
しかし、ほんの数年前までは不況で失業率がひどかったという。 それが数年でまたたく間によくなった理由の1つとして、「労働者の労働時間をぐーんと思い切って短縮」というのがあるらしい。 週休3日を基本とし、仕事の手が足りなくなった分を新しく失業者から雇用する。 そして希望者にはさらに労働時間短縮を認める。 そんな中、「腕におぼえ」のある人は余った時間でサイドビジネスをしたりする。 あくまで「趣味」や「家庭」に生きたい人は、そちらに時間を費やして楽しむ。
失業率が低くなるから、世間が明るくなる。 いろんな人がいろんな動きを始めるので、全体に活気が出る。 つまりは、「基本は保証するから、みんなが自由に働きなさい」ってことやねぇ。 そうか「世界」は結構「自由」なんだぁ。 日本は「フケーキなのに、イソガシイ」のだな。 時間に追われて好きな事もできなくて、収入も苦しくなってる人いっぱいいるのだな。 そのうち日本でもそんな風になるかもしれないけれど、今までのものにしがみつくのが好きで、 なんだかんだ理由をつけて少しづつしか変えられないこの国だから9年後くらいからかな。 えー?あと9年もあるの?あちゃぁぁ。
[※数年後解説※]  その後の2002年ごろから、日本でも「ワークシェアリング」 という形で、このようなシステムを取り入れた会社もちょろりとあったようですが、すぐに下火になったようです。
日本ではやっぱりムリ?ねぇ、ムリ? ムリなの?





01.4/8
韓国では、
「性転換者」にも優しくしているらしい。

ちょっと前、テレビでみたけれど、「性転換者」の国内での2人目の手術があったらしいです。
「日本もようやく」と思いきや、世界的にはめちゃくちゃ遅れていて。
先進国はもう「手術を認めるか」という段階ではなく、「性転換者をも保護する社会」の段階らしくて。
性転換者たちのその後の権利ですよね。
ドイツではすでに「戸籍や公式書類」での性別変更は認められてます。
イギリスでは「公式書類」での変更はオッケー、「戸籍」での変更も検討中との事らしいです。
まぁ、ここまでは解りますよねぇ。「西洋は進んでいるんだ」と片づけてしまえば。
ただ、でもね、僕もビックリしたのだけれど、韓国。
ここはねぇ、なんと、「公式書類」での変更はOKで、「戸籍」での変更も裁判で認められればオッケーなんです、すでに。
ちゃんと世界に併せて、儒教でしきたりのキビシイ国なのに、「個々人のそれぞれのキモチにやさしい」にしている。
それに引き換えこの国は、なんかめちゃくちゃ「キモチ」に関しては遅れているぞぉ。
日本では性転換したら、公式書類との食い違いで出国も止められるし、社会的にも不利なまま。
だから、「異常者」みたいな偏見もなくならない。
だけど、世界的にみれば、「みんなと違う事すれば徹底的に排除」という方が、今や、なんだかちょっと異常です。
非常に意識的には世界レベルで遅れているじゃないかなぁ、なんて思います。このクニ。
「それぞれの個人のキモチ」を大切にしないと、きっと明日は我が身。自分もタイセツにされない。
そんな風に思うのだけれどナァ。今日本がドンヅマリなのはそのへんな気がするのだけどなぁ。
早く早く、そんな風にしないと。 
国が色々とするのは、期待薄みたいなので、せめて個人ではそういう意識にしたいこの頃です。





01.5/16
これからは「歩く時間」が、かなりいい、
と思う。

半ば「体を動かす」ことも兼ね、「気分転換」も兼ね、このごろよく歩くようにしている。 単に、「歩く」ことのために出かける。うーんいいなぁ。テクテクテクテク歩くのは。
「ウォーキング」と言うとなんだかあまりに目的意識もちすぎて、1日でも休むと逆にストレスなりそうだから、 まぁ、テクテク歩くのをタノシむために、歩くのがいい。 気分がノッたら、ちょっとペースあげて歩けばいいし、景色をたのしみたいときは、のんびり歩けばいい。 よく注意してみれば、地球には、ほんといろんなものがあるぞ。ネットサーフィンなんて目じゃない。 おまけに、汗をかいたりして。筋肉ついてタフになったりして。脂肪がちょっとでも燃えてスリムになったりして。ううむうむうーむ。
根拠はないけど、「歩く」はもしかしたらいつかこの先、すんごくいままでとは違った形で、ブレイクかもしれない。 と、今の間から、こう言っておこう。当たるとウレシイし。自慢できるし。
まぁ、そんなこんなもあるけれど、「2足歩行」、これは人間の特権。 2足で歩くようになったから脳が発達してカシコクなったとも言われているのだから、歩かない手はないのだ。





01.7/4
「シロ」は、きっと何処かで元気です。

ここの近くにいて、時々その前を通るたびに、愛嬌をふりまいてくれた近所の犬のシロ。
この「神戸のほほん〜」の「半径1km以内」でも頻繁に登場して、隠れファンも多かったシロ。
なのですが、1・2か月くらい前から、ちょっとその家の様子が変化していたのです。
まず、シロを全く見かけなくなりました。
「あれぇ?」と思っていたら、そのあと、なんだか、玄関辺りの植木などをすっかり片づけ初めて、
植込みの木も抜かれてしまって、小さな駐車場が出来て、とうとう、新しい住人が入ってきたようでした。
「え??」と思っていたんですね。
さて、昨日、このマンションの大家さんと話をしていたら、シロの話しになりました。
(結構近所では好かれていて、前にも話題に出た事があったのです)
で大家さんの話によると、シロちゃんの飼われていたお家、どうやら引っ越してしまったようです。
もともと借家だったそうで、立ち退かなくてはならなくなったとの事。
で、ハッキリとした場所はわからないけれど、なんでもここからそう遠くない鴨子ヶ原か、
渦が森かそのあたりだという話でした。
それにしても、とてもとても残念。
前を通るたびに「憩い」を与えてくれて、ここにも何度も何度も登場してもらったのに。
シロがいつもぼーっと座っていた所は、今は黒い車が停まっていて、なんだかサミシイ限り。
ただ、最近見なかったのは、シロに何かあったからではなく、引っ越してしまったからだ、
というのは、ちょっとホッ。シロは、きっと何処かで元気です。
さて、こうなると、シロが何処に行ったのか?それが知りたい。
で、出来ることなら、ちょっと様子を見にいきたい。(同じように表に出ているのなら)。
という事で、「誰か教えて」のコーナーでシロの探索をしてみる事にしました。シロはいづこへ。
[※数年後解説※]  現在2004年の4月ですが、その後もシロの消息はわからないままです。
でも、きっとその後もシロはどこかで近所のヒトたちに可愛がられて過ごしたのだ思います。





01.10/1
お店の回転、早くない?

ちょっと気になることがあります。 ここ数年、新しいお店ができたなぁと思えば、すぐになくなってしまって、 なんだか街におちつきないなぁ、なんて思います。
利用する方も、もちろん飽きっぽい。きっとそれも原因。 けど、どしっと、腰をすえたお店が実は僕などは欲しているのだけれど、どうなのだろうか?みんなは。
ともかく、この「なごむアトリエ」はドシッとしていたいなぁ、と思うこのごろ。
その方が、存在感のある方が、最終的にはトクだと思う。
おそらくきっと、人も。





01.11/5
スリムがまた、流行りだしてるの?

この間、駅の人ゴミを歩いていて「ふっ」と前を見ると若い女のコが歩いていた。
最初はボンヤリみてたけれど、はっと気付いた。
そのコのジーンズが、足首のところまでピチッとしている「スリム」なのだ。
「えっ?」と思った。
ここ数年は、大きめのシルエットか、すそ広がりのベルボトムか、
細くてもストレートだと思っていたので、ちょっと意外だった。
すぐさま「もしや、流行りだした?」と、外にいる間ずっと見ていると、
前にあげたシルエットたちにまざってバラパラと、
細くて丈がちゃんと足首まである超スリム系のジーンズを何人かみかけた(気がする)。
実際はどうなのだろう?
僕はファッションにめちゃくちゃ詳しい方ではないし、ましてやもう最近はまったく知らないので、
ワカラナイのだけれど、もう普通に流行りはじめているのだろうか?
それとも、たまたま僕が何人か見かけただけで、そんな兆しは別にないんでしょうか?勘違いならごめんなさい。
それにしても、もし流行りかけているのだとしたら、「早すぎー」なのである。
ベルボトムもブカブカのジーンズも前の流行りの時に通ってきたけれど、それらはだいたい20年前。
でも、ちょっとまてまてスリムは廃れて10年もたってないのと違うかぁ?
バブルの頃、僕などもピッチピチのスーパースリムが好きでよく履いて、
夏の汗の出る季節などは脱げなくて脱げなくてナンギしたものだけれど、
その名残りのスーパースリムがほんの5年くらい前まで
「わー、まだ持っているー。カッコワルー」状態で残ってたぞ。
いまでもその残っているスリムを履いている大人だっているぞ。
それなのに、もう来たの?どうなの?ねぇおしえておしえて。
ただ、まぁ、もう長い流行りなど無くなって、
みんながしたい格好をしているというのがホントは健全な気もするし、その方がいい。
じゃ、僕もまた、超スリムを履こうか?いや、足の細さは大丈夫だけれど、ウエストがもう・・・、うーん。





01.11/25
競馬場で、是非とも、
「やぶさめ」をしなくては。

最近はもうしなくなったけれど、数年前、競馬を毎週のようにしていた頃があった。
当時、よく思っていたのが「競馬場でやぷさめをすればいいのになぁ」という事だ。
9レースと10レースの間くらいに、ドンドンドンという太鼓の音と共に、
着物姿になった騎手が直線コースに出てくる。コースの右手には的が10本並んでいる。 観客は当然「騎手が弓で何本的を射る事が出来るか」に賭けている。何番の的が当たるかがすべてピッタリと的中すればすごい倍率、という賭け方だってあったりする。
「ドドン!」という太鼓の音と共に馬は走り出す。パカパカパカパカ!、シュ!、パカーン!わーーーっ!ドドン!
うーん、いいではないか!考えただけでもワクワクする。また競馬を始めてもいい。
どうしてそんな事を思ったかというと、中央競馬では、いろんなあちこちに、
「本場イギリスをまねて」とか「フランス風」とかやたらと出てくる。でも、なんかねぇ。 ここは日本だからねぇ。そのくせ欧米の「自由な気風」は取入れなかったりするのにねぇ。
そんな見た目だけの「〜風」じゃなく「日本らしい」やり方が、 そして国際的にも他の国がしてみたくなるような、オリジナルなやり方があるのではないかなぁ、と思ったからだ。
例えば、アメリカは芝中心のヨーロッパ競馬とは異なり、ダート(砂)が中心のレース。 これはやっぱり、あの荒れた大地を馬が走ってきたという歴史にきっと由来するんじゃないかなぁと思う。
で、日本はというと、ちゃんと馬とかかわった歴史があるのだから、それも取り入れれば、 きっと国際レースの時などに来た海外の関係者に注目される気がするのだけれどなぁ。 もしかしたらオリンピック種目にもなるかもしれない。収益で「全国のやぶさめ保護」に回すとさらにかっこいい。
とにかくもう、表面だけマネッコしてヨロコブやり方は終りかけてるか、そう思ったりする。





02.2/6
白佐野と黒佐野。

どんな人にも「ちゃんと世間にあった事をする、いい評価をうけようとする、白い部分」と、
「ちょっとそうでないどうしようもない黒い部分」とあるのではないかと思う。
「なごむ」と名づけたこのサイトをしている僕にも、やっぱり白佐野と黒佐野がいる。
時に白佐野を誇りに思い、時に窮屈に感じる。時に黒佐野を嫌い、時にそこにひたる。
けれどこの頃、それが人間というものに幅をもたせているんじゃないかなぁ、と思う。
白と黒がそれぞれあって、それだけ「生」というものを、一生懸命生きてる気がする。
「私は白だけです」と言うのはウソっぽい。
「自分は白」とホントは思っているくせに「私は黒でねぇ」を売り物にするのはちょっとズルイ。
「黒だらけ」でやっていくとかなりハタ迷惑。
「自分は黒かも」と悩みながら「すべて白」のフリをするのは、少しセツナクツライ。
自分の中の白と黒両方を認めて、「生きているんだなぁ」と思うことを大切にしたい。
また、好き嫌いは別にして、他の人の持っている白と黒も認めて、「生きているんだなぁ」と思いたい。
そんな事をごく最近思ったりします。特に白佐野が思っています。
そして、「そんなに深く考えなくてもいいか」と少し思う黒佐野もいたりするんです。





02.3/8
いいものをじっくり作ることが、今はきっといい。

▼サンケイ新聞が4月から首都圏と近郊にて、夕刊を無くして朝刊だけにするそうだ。 「うん、それがいいんじゃないかなぁ。新聞社と読者のどちらにとっても」と僕は勝手に思う。 ▼廃止の理由は、夕刊を取らない人が多くなったのと、今やテレビとか、 さらにはインターネットがあるので「早さ」を新聞の売りにするのは、ムリがあるという事らしい。 ▼そりゃそうだ。みんなたぶん、帰ってきたら夕刊よりも先にテレビだ。早さだけでいうならそっちの方がより新しい。 また、会社でインターネットが使えるならばそれでニュースが見れる。 会社でなかなかテレビは見れないけれど、ネットならね。 ▼それに、仕事で遅く帰宅すると、夕刊に載っているニュースはもはや古い。 だからなのか「読み物」や「情報」をどんどん増やしているけれど、 それは何だか「副業」に精をだしてるみたいな感じが、ちょっとしたりする。 僕は新聞自体を購読してないけど、もし、とるとしても夕刊は多分とらないだろなぁ。 ▼あと、記者たちが今のままでは、あまりに忙しいというのもあるらしい。 アメリカなどでは「朝刊紙」と「夕刊紙」は違う会社か、同じでも違う編集部で作っていたりするらしいけれど、 日本は同じ編集部内で両方作っているらしくて、〆切が12時間おきに1日2回あるという。 ▼うーん、これではジックリと事件や出来事を、掘り下げて書けないだろなぁ。 しかも、早さではテレビやインターネットに負けてしまっているし。 ▼だから、今までの倍の24時間の制作時間で、記者でないと知ることが出来ない色んな事をじっくりと掘り下げて吟味して、 記事を作っていくというやり方は、とてもいいんじゃないかなぁと思う。 ▼そして、そうやって深い事を色々教えてくれると、時としてちょっとウレシイ。 だって、テレビもネットも結構、表面的だから。 ▼ので、なんとなく4月からのサンケイ新聞は興味がある。「読みたいなぁ」なんてふと思う。 ▼それにしても、夕刊をやめるのは結構決断がいったのではないか思ったりする。 部数が落ちているとはいえ、確実に「夕刊」の収益もあったのだから、それをスッパリと決断したのは、ちょっとイイ。 まるで「明日からスッパリタバコ吸いません!」なんて感じで、カッコイイ。 ▼でも、他社はそのへんで、まだ「えっとえっと、どぅしよかなぁ」なんて迷っているらしい。 でも、サンケイ新聞が成功したら「じゃ、ボクもしよかな」てな感じで、同じにするんだろなぁ。 ▼おお、最近、ここは長くなりがちだけれど、今回もこんなに長くなってしまった。 しかし、「これからは、じっくりといいモノを作るのがいいかもしれない」と思っている僕だから、 ここもじっくり書いておかねばならずんばなるまい。 ▼そんでもって、「なごむアトリエ」もますますじっくりといいモノにしたいぞ、 と決意も新たにじっくりじわじわと思ったりするのだが、フケイキな昨今、みなさんはいかがなものだろうか。(S)




02.3/31
地球外生物は、いるかもしれないらしいゾ。

この間、NHKの番組で聴いた話し。
僕の子供の頃などはまだギリギリ、「宇宙人がいるかもしれない」なんて言われていた。
それが、そのあとから最近までは、ちょっとそれを否定するかたちで、
「この宇宙の長い時間の同じ時間に、生命が存在する確率は低い」とされていた気がする。
しかし、最近はまた、ちょっと、専門家での考えが変わってきているらしい。
ここ数年の進んだ地球の研究や調査で、地中の「とてもこんなところに生物はいないだろう」
と思われていた場所で、微生物の存在が確認されたという。
という事は、どこかの星で、表面には住めなくても、地中奥深くに、何らかの生物がいてもおかしくないそうだ。
そんなこんなでこのごろは、「地球外に生物のいる確率は高いのではないか」とされているらしい。
人間から見てとても住めないところでも、生命が存在するかもしれない、
という考えでの調査がおこなわれているらしい。
うーむ。それはなんだか、オモシロイ。
で、もっと進んだ生物はどうか?いわゆる「知的生命体」というモノ。
生物がさらに進化していく為には、数十億年という年月の間、ある程度環境が安定していないといけないらしい。
地球のバアイ、「太陽系にある」「太陽からの距離がちょうどいい」「海が存在する」
「彗星から守ってくれる木星などの大きな惑星が近くにある」などによって安定した環境を維持できたらしい。
その中で、生物はどんどん進化していった。それはそれは、奇跡的な偶然のたまものらしいけれど、
それでも、もし同じような条件を満たしている星ならば、進化が進んだ生命がいる可能性がゼロではないらしい。
そして、地球からなんとか確認できる遠くの星の中には、
「もしかしてあのあたりにはいたりするかなぁ」なんて想像が可能な、
その条件にはまった星がありそうな太陽系も見つかり始めたらしい。
うーん。ますますもってオモシロイ。
まだ見ぬ生物かぁ。うん、映画などではよく、「地球外生命」=オソロシイもの、とされているけれど、
実際は必ずしも、そうではないかもしれないねぇ。もしかしたら、とてもカワイイ何かかもしれない。
害はないかもしれない。パンダとウサギと鳥を足したようなものがいたら、カワイイ。出来るなら、
テレビに出したりしないでそっとしておいてあげてほしい。
で、もし知的生命体がいても、必ずしも「悪いヤツ」ではないだろう。
だって、知的生命体と自分で思っている人間にも、
「まず人にやさしい人もいれば、そうでない人もタクサンいる」のだから。





02.5/4
いつも、アタマの中に、太陽の光と吹く風を。

絵本版「パパラギ」という本を読んだ。
今から80年ほど前、南の島サモアの酋長がヨーロッパを旅して、そのときに感じた事を島のみんなに報告したもので、 それを西洋の詩人が訳して本にしたものが、「パパラギ」(1920年刊行)という本である。 そしてそれに新しく絵をつけたものが、この絵本版の「パパラギ」だ。
「文明の進んでいるはずの国」が、その酋長からみれば、なんだか奇妙でオカシクて、そしてちょっと「愚か」に見える。 そんなことをつづっているのだけれど、80年前の事だというのに、いまこの日本で当然とおもっている暮し方やキモチが、 まさしくその酋長がオカシイとおもった「文明国」そのままのような感じがして、うーむと思ってしまった。
身につけるものや身の回りのものをやたらと気にしたり、ありのままの姿やキモチをハズカシイとか押さえなければいけないものと思い込んでいたり、 人とのつながりが薄いのが平気だったり、太陽や風を感じられないのが普通だったり、必要以上にモノに執着したり、やたらとモノを作ったり、 自然のモノも自分のものだと思ったり、お金に振り回されたり、常に要求したり欲しがったり、機械や知識の力は信じるくせに自然の力を忘れてたり、 いつも急いでばかりでユックリと歩むことにイライラしたり、仕事をしていたらそれだけでそれでエライと思っていたり、 仕事とは苦痛であるものだと妙な悟り方をしていたり、 ダルイから出来るだけ動きたくないと思ったり、すぐに人と比べて人をうらやんだりバカにしたり、すぐにキレたり怒ったり、 何をしていても目が輝いていなかったり、やたらと時間や年齢を気にしたり、時間がないと思いこんでいたり、 映像やメディアの世界をやたらと信じたり好きだったり、自分の感覚で自然を感じるヨロコビ忘れていたり、知識を詰め込んだらそれでエライと思ったり、 頭で考えることばかりダイジにして全身の肌で感じる事を価値が低いと思ったり、すぐに理屈ばかり言って心からタノシンでなかったり、 なんでも解った気になっていたり、そのくせやたらと疲れていたり、でも自分たちのやり方が正しくてそうでない人は間違いだと思ったり、 そしてすぐに指導したり押しつけたり、なのにやっぱり自分には満足してなかったりホントは自信がなかったり。
この80年の間に、日本は「サモア的」から「酋長からみたらオカシな国」になってしまったのだろなぁ。 うーん。そんな「自分では進んでいると思っている文明国」の暮しと、サモアでの酋長たちの「風や太陽と共に過ごす」暮し。 どっちが「愚か」で「幸せ」なのか、ちょっとわからなくなってしまう。
「じゃぁ、サモアに行け!」と言われてもコマルのだけれど、それが出来ないのならば、 せめて、外にいる時や窓の開いているときに、風や太陽を全身で感じるキモチを「ふっ」と思い出して、アタマの中でちょっと感じる習慣を、 それをヨロコビと思う習慣を、自分が結局自然とつながっている事を憶えておく習慣を、忘れずにいたいなぁと、そんな風に思うこのごろなんです。
[※数年後解説※]  このあたりから、文章がやたらと長くなりはじめてきました。もはや「ひとこと」ではなくなってきたのでした。




02.5/27
今、あらためて、「マルチメディア」。

だいたい10年くらい前、「マルチメディア」という言葉を初めて聞いた。
コンピューターを使った仕事に深くかかわりだした頃で、パソコン(Mac)を触るだけでタノシかったのに、
さらに、そこで提案されていた「マルチメディア」という新しい「見せ方」にワクワクとしたものだった。
モニターに映る美しい画像、そのまま取りこめるリアルな音、それ以前に比べると簡単に作れるアニメーションや動画。
触ると何か反応がおこる「インタラクティブ」というしくみ。 して、それらを連動させて、
そ何か1つのテーマをもった「コンテンツ」という名の「役立つモノ」や「作品」を作ることが出来る。
そのあたりの可能性に、とても、ワクワクドキドキと夢を膨らませたものだった。
「商業的」な意味でも「創造的」な意味でも。そして、ある業界の中で「マルチメディアブーム」がやってきた。
で、あれから10年。
いつのまにか、「マルチメディア」という言葉も影をひそめてしまい、業界の盛り上がりもはじけてしまった。
大資本で展開されている「インタラクティブ」や「コンテンツ」というものも、なんだか表面的で形式的になってしまって、
「慣れて普通になったから」という事をこちらにおいておいたとしても、
やはり、当時みんながエネルギーを注いで予想していた形での実現にはなっていない気がする。
また、あのころはまだ予想していなかったインターネットがやってきて、その進路を少し変えてしまった。
それから、個人的にも、商業的な意味での「マルチメディア」に対しては、数年前に「少し夢敗れた感じ」があって、
そんなこんなをみんなあわせても、「マルチメディアの盛り上がりは、今にすれば夢のようだったなぁ」なんて、
ここ数年思ったりしてました。そう、ここ数年ね。
さて、けれど、最近は、こう思います。
そういえば、この「なごむアトリエ」は本人あまり意識していなかったけれど、立派にマルチメディアだなぁ、と。
画像があって、アニメーションがあって、ことばがあって、ほんの少しだけれど音もあって、
で、それだけではなく、パソコンの外で創った手描きの絵を見せたり、
ブリンタで作ったカードを販売したり。パソコンの外の事もこの中に含めていて、まさに、「マルチメティア」です。
もちろん、他の人のサイトもそうです。身近なデジカメ写真をのせている人も、日記で日々を公開している人も、
掲示板で遠くの人とコミュニケーションとっている人も、みんなそのサイトは、マルチメディアです。
うーん、こんなところにいたのね、「マルチメディア」くん。
で、今、
当時の「マルチメディア」を考えていた時の、ワクワク感の源(みなもと)はいったい何だったのか?
ちょっとそれを思い返してみつつ、自分の中で探しています。





02.6/18
「なごみ」の、次に来るモノ。

ここ2.3年、「なごみ系」や「いやし系」がキーワードになっている。
「ここもそうだ」と言えばそうなのだけど、僕の場合はもちょっと古い。 97年に、スタジオハルツのCD-ROM「ハルツスクリーンセーバー2」を作ったときに、 「なんか、なごむものがいいなぁ」という思いで作り、 パッケージにも「そんでもって、なごむ」というコピーを入れたりしてみた。その流れで、個人サイトの名前も 「なごむアトリエ」にしたりした(うーん、こんな自慢げな言い方は、ここが最後にしておこう)。
で、そうこうしているうちに、いつの間にか、ヨノナカ「なごみ系」がブームになってしまった。 なんでもかんでも「なごみ系」である。商業的なものの中には、ただ単に「これはなごみですよ」と言っているだけのものもあったりする。
そんなこんなの「なごみ系」の存在を、僕自身は、「まぁ、いいかぁ」と思っている。 きっとね、ブームが去って、心ない人に「まだなごみ系をやってるのぉ?もう古いですよぉ」 なんて言われても、それでもヒツコクやっている事に、きっと意味がある。ブームのあとに、きっと価値が出てくる、 そんな気がしているので、いいのである。なにせ、目標は50年。
ただ、このごろ、これを考える。
「なごみの次はなんだろう?」。
まだ、なんとなくなのだけれど、きっとこんなものではないかと思う。
「無心に」とか、「職人ワザ的」とか、「本当のホンモノ」とか、「積み重ねないと出来ないモノ」とか。「一心不乱」とか。 「恥も外聞もなく心にまかせる」とか。「甘くないモノ」とか。
うーん、一言ではまだ、うまくまとめられないのだけれど、「そんなんじゃないかなぁ」と僕は勝手に思ってる。 どう言ったら、スパッと言えるのか。また、思いついたら、ここに書きます。
さて、で、だとすればだ、
「なごむアトリエ」の進む道は、「なごみ」「なごませ」ながらも、「一心不乱に無心に職人ワザ的に恥も外聞もなく心にまかせて積み重ねた甘くない本当のホンモノ」への道なのである、 きっと、おそらく、たぶん、間違ってたらゴメンナサイ。




02.8/4
「守る」のではなくて「つなぐ」なのですねっ、先輩っ。

このあいだ、近くの高校の横を通ったら、テニスコートでテニス部の先輩風の青年が、
後輩たちに大きな声でコーチをしている声が聞えてきた。
どうやら、レシーブの指導みたいなのだが、こんな感じ。
「いいかっ。レシーブは、"守る"という意識で打ったらアカンのやで。
今はいいタマを返せなくても、チャンスが来たらいつか決める、その攻撃のために、"つなぐ"もんなんや。
いいかぁ、"守る"んやなくて、"つなぐ"、という意識やでぇ」
うーん。とってもいい言葉なのである。「守る」のではなく、次へ「つなぐ」。
そう、なんだか人生やモノゴトの進め方に相通ずるのである。
人の事はイザ知らず、個人的にはつねに心したい意識だったりするのである。
生きているとうまくいかない時も、イヤなくらい結果が出ない時も、何もない時もある。
その時に、「守ってる」という意識は、はなんだかちょっと重たい。
グチも出そうだ。イヤになってヤメちゃいそうだ。
けれど、「次につないでいるんだ」と思えば、足取りもちょっとかるい。
ニヤリと笑顔も出そうだ。なんとかまだやっていけそうだ。
それに、人間、「守り」に入ってしまうとつい、消極的になったり、事なかれになったり、
ラクしようとしたり、情熱を失って覇気がなくなってしまったり、それを何かのせいにしたり、する。
そうじゃなくて、つねに、「つなぐ」意識でいって、
「よしここだっ!」という時にウインブルドン級のレシーブを返すんだ、と、
思っていた方が、ある意味キモチをラクに持てて、イザという時は軽いフットワークで実行出来そうで、
きっといい気がするなぁ、なんて個人的には思うのである。
とにかく、そんな事を、言葉で再確認させてくれたテニス部のキミ。
うーん、いい事を言うなぁ、
うん、今日からあなたは僕の先輩です。
年はきっとかるーく倍以上は違うと思うけれど、先輩と呼ばせてください! 先輩っ!
そんな事をひとり思った、テニスコート脇の歩道の夏の昼下がりなのでした。





02.12/25
「うじゃなごむくん」が一番人気だったのよ。

11月26日から販売していた「なごむアトリエ・オリジナル2003年スケジュール手帳」。 タクサンのみなさんに申し込んでいただいて、とてもウレシかったのでありました。
で、ここで、ちょっとどれが人気だったのか、ランキングを発表したいと思います。 なんと言っても、ダントツは「うじゃなごむくん」。 カワイイながらもシックで、オトナでも持てる感じがヨカッタのかなぁ、と思います。 次に「着せ替え表紙」として人気が高かった「バンソコなごむくん/抹茶」がつけています。 そして、「なごむアトリエ」でもおなじみのコたちの「カッパ沼」「CHUN-CHUN」、 それから、「バンソコなごむ」の色違いである「/オレンジ」が、「手帳」として人気です。 「うーん、なるほどなるほど」と考えながら、いろいろと楽しめた2002年の年末でした。ホントにみなさん、 ありがとうございました。

種類手帳として(冊)着替表紙(枚)トータル
1うじゃなごむくん 175 22
2バンソコなごむくん/抹茶6713
3カッパ沼9312
4CHUN-CHUN -Night & Day-9211
4バンソコなごむくん/オレンジ7411
4まどろみなごむちゃん5611
5いろんな月がいる549
6なごむくん18カラー628
7 ターコイズなごむちゃん 43 7
8 おど郎・ネコのように 22 4
9赤いなごむちゃん213
9のほほんとキモチくん123
2003年1月15日現在




03.3/24
なんだか、戦争は無意味です。

◆ここでは、できるだけなごんでもらいたいので、触れずにおこうと思ってたのだけれど、。 かわりに、とりあえずタイトルページのなごむくんの花を大きくして平和の願いを、 なごむちゃんに黄色いリボンをつけて「両国兵士の無事の帰還」の願いを表したので、 それだけにとどめようと思っていたのだけれど、。 やっぱりちょっと思っていることを書いておこうと思います。
◆戦争はやっぱり無意味だなぁと。特に今回のは、やっばり、つきつめれば、「やられた仕返し」という印象がどうもします。 「やられたからやりかえす」というのは、なんだかちょっと不毛です。 時おり人でも、「やられた(と感じた)から、やりかえす」って人いるけれど、 そういう人はちょっと見ていてカナシイです。それで満足するなんて、サミシイです。
◆一昨年のニューヨークのツインビルのテロは、「なんてひどいコトするんだろう」と思いました。 アメリカに同情してキブンはちょっとアメリカの味方でした。 でも、これで「どっちもどっち」になっちゃった気がします。
◆アメリカの兵器の性能は、昔に比べてとんでもなく進化したけれど、 「徹底的に相手をねじ伏せて屈服させて排除する」という戦争をしてしまうという「やり方」は、 なんだか「20世紀的」だなぁ、とちょっと古くさく感じてしまいます。もっと、そろそろ、他の道があるんじゃないかと、 思ったりします。(では、それはナンダと言われてもコマルけど)
◆たしかに、フセイン政権は、なんだかアヤシイです。キナ臭いです。 けど、それはもう、情報の早いヨノナカ、世界のみんなが充分知っている気がします。 そういうみんなの力は、結構強い気もします。それを信じてもよかったんではないかなぁと、勝手に思ったりします。
◆なのに、戦争を始めてしまったから、逆に「アメリカのすることに反対」という声が世界であがってしまいました。 なんかアメリカはソンしたんじゃないかなぁ、と思います。
◆アメリカは今、それを配慮してか、「出来るだけ民間人に被害がおよばないよう」とさかんに言ってます。 けど、国を攻撃していて、「民間人はひとりの犠牲者もなし」というのはムリでしょう。 それに、兵士の親は民間人だったりする場合もあるわけだし。 「その人にとって理由なく誰かが死んでいく」というのは、8年前に震災を経験した者としては、 非常にムナシク感じます。
◆こんな風に思うのは、もしかしたら、政治的見解の強い人や、知的論理に重きを置いている人がみたら、 ズレているのかもしれません。それは認めます。議論したらその場では負けておくかもしれません。。
◆けれど、フダン、「たまにするゼイタクなごちそうはおいしいねぇ」とか「好きなヒト達がニコニコゲンキでいるとウレシイなぁ」とか「もちょっと収入ふえないかなぁ」とか 「今度の休みは何をしてすごそかな」とか「あの友達最近どうしてるのかな」とか「今日も一生懸命働いたナ」とか、そんな風にささやかながらもヨイショヨイショと過ごしている庶民としては、 やっばり戦争はどこでやっていてもイヤだなぁと思います。そして、そんな「ささやかな庶民」がきっとイラクにもアメリカにもたくさんいると思うと、 やっぱり、「無意味だなぁ」と、静かに、そう思うんです。
●追記/ よく考えたら、アメリカのブッシュ大統領は、ねっからのボンボンです。お金持ちです。 その彼のヒトコトの影響で、どこかの「ささやかな庶民」のいままでどおりの暮らしがひとときでもなくなってしまう、 こういう戦争は、やっぱりこれからはもう、無意味だなぁと思います。




03.4/14
終わっていく。変わっていく。始まっていく。
そして、
続いていく。


この春、この阪神間の遊園地である、「阪神パーク」「宝塚ファミリーランド」が合い次いで閉園しました。 僕が子供のころなどはどちらもワクワクするところで、日曜などは人でいっぱいでした。 良く聴く「Kiss-FM」というラジオ局が、この春大幅に番組編成を変えました。震災後などに良く聴いて励まされた局でした。 大きな全国ネットに入って東京発信の番組が増えて、地方色が少し薄れたなぁ、なんて思ってます。
で、そんなこんなだけでなく、この春は、他にも「終わった」り「変わった」りするものが、 いつもの春よりもよく見るといろいろと目につくよな気が、勝手にしてます。 サミシイといえばサミシイけれど、別にセンチになっているだけではなく、「かわりゆくのも世の流れ」なんてことも思います。 また、モノによっては新しくなってもらった方がいい場合もあるので、それはそれで、ヨノナカなのでしょう。
さて、インターネットに目をやると、2000〜1年ごろの「盛り上がり」に比べたら、ちょいと静かな気がします。 好きでよく行ってた個人サイトが、もう無くなってたり、更新が止まっていたり。 あのころに比べれば「初めてメールします」メールがとても減っていたり。 「相互リンクさせてください」のお願いメールもほとんどこなくなってたり。 僕自身も、以前ほどあちこちのサイトに行かなくなったり、新しくサイト探しもしなくなったりしてます。 まぁ、それだけ、物珍しさが引いて熱がさめたのと、普通になって何も感じなくなったというコトでもあるんでしょう。また、 「送り手」をしてみたけれど結構タイヘンで、「受け手」だけに戻った、というヒトもいるでしょう。
で、そんな中、今、僕は、「なごむアトリエ」についてちょっと見つめ直しています。 あ、もちろんやめたりしないし、もともと長くやるつもりでいたし、これからもこんな感じでやっていくのだろうと思うのだけれど。 ちょっと今、「どうしてこれを始めたか?」という最初の動機を、すこし思い出したりしているこのごろです。
「終わっていく」「変わっていく」「始まっていく」、どれも、何百年も前からヒトがしてきたことだから、 「いやだ」とか「悪い」とかは言ってもいたしかたないのだけれど、僕はこのごろ、「ぱっと盛り上がってパッと終わってハイ次っ」という感じよりも、 「続いていく」ということに、とっても心惹かれます。「それをやっていけたらなぁ」としみじみ思う、このごろなんです。




'03.6/20
無理に書かなくてもいいか。

ここ、「ひとこと」のところを、ずっと「そろそろ替えよう」と思ってまして、
何か書こうと思いつつ、何も書くコトがないので、
無理に考えて書きかけたりしてましたが、
まぁ、「無理に書かなくてもいいか」という結論に達したので、
ここに書いておくことにしました。
うーん、この間みんなに送った「足あと通信」でも、
似たような事やったなぁ。けどいいんです。





03.9/17
阪神タイガース、優勝、ヨカッタ。

15日、阪神タイガースがセ・リーグ優勝を決めました。
ヨカッタ。

もう数年、甲子園には行ってないし、テレビ観戦もしない、そんな僕です。 こんなに盛り上がった今年も「阪神がまだ首位だ」ということだけしか知らず、 試合の中継もたまたま居合わせた場所でみるくらいの、「阪神ファン」と言ったらバチがあたる僕です。

まぁ、もともとが「トラキチ」という程ではない僕ですけれど、 それでも中学・高校の頃には、田淵や江夏や遠井や藤田や一枝や安仁屋やテーラーやラインバックやブリーデンや古沢や小林の出ている試合を、テレビで見ていた程度の僕です。 「ベンチがアホやから野球が出来へん」と言ったのは江本でした。 そういえば、当時タイガースには「佐野」という選手がいて背番号が「9」で、 シブイ選手なのにイマイチ目立たなくて、でも超ファインプレーしたと思ったらケガをして、しばらく戦線離脱したのがクヤシかった僕でした。 高校の帰りに友達と行った甲子園では、試合前の練習のファウルボールが、 前でお弁当を食べているオジサンの肩にあたって弁当がふっとんで、 みんなで大笑いした失礼な僕です。

前の優勝時の85年は、ちょうど最初に就職した会社をやめて「好きな道に行く」ことを決めた僕でした。 ほんの数回だけ甲子園に見に行って、「♪かっとばせばせバース」と叫んだりしてウサをはらした僕でした。 優勝した朝に早起きして駅までスポーツ新聞を数紙買いに行ったり、「タイガース優勝ゲームブック」を買ったりするくらいのものでした。

まぁ、そんな程度の「阪神好き」な僕でしたが、ここ数年はもうほとんど試合も見たりしない僕でした。甲子園へも10年は行ってない僕です。 そんなだから、今年もそれを通してあまり熱を上げずに1年すごした僕でした。 でしたが、やっばり15日の試合と、そのあとの胴上げの中継は見てしまった僕でした。

で、優勝が決まった瞬間、最初に目で探したのが、今はコーチの田淵です。 かつてホームラン王にもなり「ミスタータイガース」と言われてファンに愛されながらも、 球団から突如トレードに出され、涙の記者会見をした田淵です。 かつて「がんばれタブチくん」というマンガで、「チンミタブチブタミンチ」という回文にもされた田淵です。親友星野さんにコーチとして願われて、去年約20年ぶりくらいにタイガースのユニフォームを着た田淵です。

見ると、田淵はくしゃくしゃの涙顔で、星野さんに抱きついてました。 ウレシイだろうなぁ、田淵。あの、愛憎こもるタテジマのユニホームを着ての甲子園での優勝。 どんなキモチか、それは田淵にしかわかんないだろうけど、とにかくウレシかっただろうなぁ田淵。
クールに優勝を見ていた僕ですが、その田淵のワンシーンだけは、ちょっと「じん」とした僕だったのです。おめでとう、田淵。忘れもしない、かつての少年たちのあこがれのタイガース4番バッター。

というわけで、こんな僕ですが、ホント、阪神優勝、ヨカッタ。
(敬称略でめんなさい)


[※その後※]  星野さんはもともと、不振だった野村監督のあとを受けて阪神の監督になったのだけれど、就任2年目にしてこの年優勝。しかし、年内にすぐに辞任を表明し監督を終えました。サッとやってきて、サササッと阪神を優勝に導いて、サラバッと去っていく。まるで正義のヒーローのような、西部劇のガンマンのような、星野仙一さんでしたね。




         以上、2001〜2003年のひとことでした。


 


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