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佐野元 個人の 年賀状
ここに載せているものより前の年賀状は、まず手作り。自筆の字だったり絵だったり、もしくは干支のスタンプだったり。また、あらかじめ絵柄がついている市販の年賀状から気に入ったものを買ってきて、それに書いたりしたこともあります。まあでも、僕の場合は子供の頃から絵を描くのが好きだったので、干支など1つの絵柄を決めて数人の友達へ同じに描くこともあったように思います。
 で、高校の頃(1977年)にプリントゴッコが出ました。それまでオリジナル年賀で同じものを何枚も作る場合は、版画か、印刷するしかありませんでした。でもプリントゴッコはそれらよりも手軽に同じ年賀を何枚も作ることができました。といっても、当時としては結構な価格だったので、実際に僕が買ったのは1986年です。それにしても、買った時はホント嬉しかった。
 さて、同じものが沢山作れるということは、「みんなに送ったものと全く同じものを1枚保存出来る」ということでもあります。ということで、「自分用保存」ができるようになったプリントゴッコでの第一作目の年賀状から今までの佐野個人の年賀状を、ここに置いておきます。あと、手描きのものある暑中見舞いやスタジオハルツ時代の年賀なども一緒に。
[1]1987年〜1992年
[2]第1シリーズ 1993年〜2004年
[3]第2シリーズ 2005年〜2016年
[4]第3シリーズ? 2017年〜
[その他]暑中見舞い・残暑見舞い、スタジオハルツ年賀状
[1]1987年〜1992年
好景気まっただ中からバブルがはじけて間もない頃(といってもそのもっと先に比べればぜんぜんマシ)まで。
まだ12年ごとのシリーズ化をする前の単発ものが続きます。
1987年(制作1986年・25才 / ブリントゴッコ)
ずっと念願だったプリントゴッコを買って初めての年賀状がコレです。買ったプリントゴッコの限界ギリギリだし、まだ使いこなしていないので仕上がりはとても粗いですが、ただネタ的には今でも充分にアリかもしれないと自分では思います。
1988年(制作1987年・26才 / ブリントゴッコ)
この「としのはじめのさのはじめ」の言葉は周囲の一部でとてもウケました。小さな文字部分は、当時リコー(たしか)の「ワープロ・モニター募集」に応募して当選し数ヶ月ワープロを借りて試用したのですが、それで印字したものを利用してます。プリンタとセパレートの大きなワープロでした。こういう「ちゃんとした文字」が手軽に使えるようになるのはもうちょっと先です。
1989年(制作1988年・27才 / ブリントゴッコ)
プリントゴッコというのは、大きな面積の塗り面を作るとどうしても無理があります。インクの偏りによるカスレやシワによるムラや気泡による空白が出来たりしてしまいます。実はもうちょっとのちにそれも工夫次第と解るのですが、このころはまだまだ未熟でどちらかというと構想だおれな一枚でした。下の白場の小さな文字も何かによるプリントですが、もしかしたらその頃アルバイトで手に入れたパソコンとブリンタを使ったのかもしれません。
1990年(制作1989年・28才 / ブリントゴッコ)
前年の失敗から、線画に徹したのがコレでした。内容的には「とてもイイ」と言ってくれる人もいたのですが、個人的には絵柄としてボリューム感がもの足りませんでした。
1991年(制作1990年・29才 / ブリントゴッコ、絵の具彩色)
これはプリントゴッコで刷ったあと、頭(黄色)と服(うす紫)の部分を絵の具で塗ったものです。これも「イイ」と言ってくれた人が何人かいましたが、自分的には「ちょっとカッコつけすぎかな?」と思ったりもしていました。まさにバブルの頃(末期)で、スーツがその頃に流行った「ガボッとしたシルエットで肩にパット」な形です。
1992年(制作1991年・30才 / ブリントゴッコ)
やはりベタッとした塗り面を作りたいと思って、「実際には広くないが広く見える感じ」を求めて赤い色をフレーム状にしました。またインクが広がらないようにブロック用スポンジも駆使しました。しかし、右上の一部が製版した時に張り付いて取れなくなり、インクが乗らず三角の形に白く残ってしまいました。もしそこがうまくいってたら「この時点での完璧」だった一枚です。けど、改めてみるとそこが味になっていると言えなくもありません。
[2]第1シリーズ  1993年〜2004年
そもそも最初はシリーズ化の予定はありませんでした。3年目から本気でシリーズ化を始めます。
プリントゴッコで2〜4版を重ねて使って刷っていました。
1993〜2004年(制作1992〜2003年・31〜42才 / ブリントゴッコ)
1993年のトリ年は思い入れのある一枚です。ちょうどフリーになって半年くらい。まだ先のことが全く解らず実績もなく不安もあったけど、なんとかするぞーという意気込みだけはあって、それがこの「くるならこいこの一年」の年賀状になりました。これは周囲のウケも良く、またキャノンが募集していた「年賀状コンテスト」で一等をいただきカメラを貰ったりもしました。その次の1994年イヌ年の時点でもまだシリーズ化の予定はありませんでした。故に、前年やって気に入っていた毛筆の線の感じは一緒ですが、細かい部分ではこのイヌ年だけちょっと他とは雰囲気が違います。シリーズ化しようと思ったのは1995年のイノシシ年からです。だから、「干支を言葉の一部におり込む」というのはここから始まっています。絵の全体の感じは評判の良かったトリ年のスタイルを引き継ぎました。仕事関係の人たちからは「のんびりしないでお願い」と言われた一作です。でもこの言葉になったということは逆に、1994年がめまぐるしく忙しく充実してたからでもありました。1995年の1月17日に阪神淡路大震災があり被災しました。そういうアレコレの思いがあって作った1996年の「いいことくるくるくるからね」です。伯父夫婦によって老人ホームにやられた祖母に会いに行ったときに、「この年賀状ありがとう。これ、ほんまにええなぁー。かわいいなぁ。ここに貼ってるねん」と壁に貼っているのを見せてもらって、ちょっと嬉しせつない気持ちにもなった一枚です。1998年の「とまったりらくしたりとないとね」も仕事関係の人たちから「しないでね、お願い」と言われた一作です。スタジオハルツの活動が発売元の関係で思うようにいかなくなってきた時期が来て、1999年の年賀状は次への意気込みでした。2001年の「したいようにしてみ」もウケのよかった一枚です。こういう風にシンプルにピッと決まった時は結果的にいいのかもしれません。
[3]第2シリーズ  2005年〜2016年
12年も終わってしまえばあっという間で、次はどうしようかと。「前シリーズ」はどちらかというと筆のタッチでグイッザクッモコッとした感じだったので、次はもう少しスマートな感じで行こう、と思って始めたのがこのシリーズです。プリントゴッコで4版を重ねて使って刷っていました。
2005年〜2016年(制作2004〜2015年・43〜54才 / ブリントゴッコ)
2005年のトリ年はスミ(黒色)版を製版で失敗してしまい、かすれてしまいました。残念な一点。このシリーズは基本的には、「〜〜な●●(干支)」というタイトルになっていて、「〜〜」というところは、普通ならば「●●」という動物には当てはまらない言葉が入っていて、ミスマッチな感じからその年の自分のテーマを導き出しているものになってます。例えば、「にわとり」は本来「飛ばない」けれど「飛ぶにわとり」に、「馬」は「長い顔(馬面)」なのに「丸い面のうま」に、という風に。で、そうではないのが2つだけ。そのうちの1つが2006年の「日本犬」。いや、これはもう「日本犬」だったんですよ。「いぬ年の今年はどうするか?」と自分に問うた時に。日本犬がそもそもイヌの中では好きだし。そして、この12枚シリーズの中で絵柄として個人的に一番気に入っているのもこの「日本犬」です。だから、前のシリーズでもそうだけれど、「いぬ年」はちょっと違うことになるようです。2007年以降、特に特記することもないですが、ここらにくるとだんだんとプリントゴッコも手慣れた感じになってきます。干支の絵の回りに細かい文字がぐるっと回っていますが、この文章の最後ではたいてい、「今年も寝ている」みたいなことになってます。2015年のひつじ年の小さな文字は「メエメエメエメエメエ…」になってます。これはつまり、「もう、今年は、あーじゃこーじゃ言わないでいこう、いちいち意味なんて。もうシンプルでそのまんまでいこう」というキモチの表現です。そしてこの年の夏にロンドンに行ってきました。で、最後の2016年の「さる年」。このタイトルも基本のパターンには従ってなくて、最後の締めくくりっぽく「どのみち私ら人間もサルの仲間じゃないかー」と自分たちを見つめ直そうよという感じでシリーズを終えました。
[4]第3シリーズ?  2017年〜
これを書いているのは、2017年の1月3日です。去年の真ん中あたりで「次の年賀は木版画」と宣言したので、とりあえず木版画で酉年の年賀を作りました。思ってたよりもなんとかちゃんと出来たのですが、そこそこ手間もあり。さぁ、どうしよう。これをこのまま12年シリーズにするのか? それとも今回一回だけにするのか。いやいや待てよ。3年だけやってみて、次は「子・丑・寅…」とキリのいいところからまた別のものにする手もあるぞ。いやいやもう、いっそ、ここからは一回限りその年の気分まかせで、というのでもいいかな? なんてことを現時点ではアレコレ思ったりしているワケです。
2017年〜(制作2016年〜・55〜才 / ブリントゴッコ)
[その他] 暑中見舞い・残暑見舞い、スタジオハルツ年賀状
暑中見舞いはもうちゃんとは出さなくなりましたが、昔はその時期にとてもお世話になっている人に出したりしていました。一枚だけ、もしくは一枚ずつ別のものを手描きしたっきりのものに関しては残っていませんが、プリントゴッコで作ったものは保存して残っています。それから手描きではあるけれど何枚も同じものを作って、最初から自分用にも残しておいたものなどもあります。それらをここに載せておきます。そして、「スタジオハルツ」をやっていたときに「スタジオハルツ」用に作った年賀状も2枚、おしりの方につけておきます。
暑中見舞い・残暑見舞い
1989年(ブリントゴッコ)
1993年(手描き/アクリル絵の具)
1994年(手描き/アクリル絵の具)
1995年(手描き/色鉛筆)
1996年(ブリントゴッコ)
スタジオハルツ年賀状
1997年(インクジェットプリンタ出力)
1998年(印刷)

▲※これは正確にはハルツの年賀状というより、発売元の社長さんに頼まれて作ったものだったと思います。
 
[1]1987年〜1992年
[2]第1シリーズ 1993年〜2004年
[3]第2シリーズ 2005年〜2016年
[4]第3シリーズ? 2017年〜
[その他]暑中見舞い・残暑見舞い、スタジオハルツ年賀状

(C)Nagomu-Atelier / Hajime Sano